「エロ・グロ・ナンセンス」というのが流行してな(¬。¬ )ヾ( ̄o ̄;)オイオイそれはいつの時代の話?

【読んだ本】

倉本一宏編『現代語訳 小右記1 三代の蔵人頭』(吉川弘文館,2015)

藤原実資、大丈夫?という出来事が本書58~59頁の天元5年(982年)3月28日条にエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

     二十八日、庚申。 季御読経結願/蜈蚣耳に入る

    ・・・今夜、戌剋の頃、蜈蚣[むかで]が耳に入った。しばらくして、これを出した。
    その長さは一寸余りであった。人は多く奇怪とした。

続けて、倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』(講談社学術文庫,2009)にも、
奇怪な出来事が寛弘2年(1005年)7月6日条に((;゚Д゚)ヒィィィ!

     六日、壬子。 馬牛交接

    物忌ではあったが、軽かったので、人々が土御門第に来た。(源)頼光朝臣が申して
    云ったことには、「去る三日、京の北辺の故(源)満季の家地に母牛を放ったことが
    有りました。ところが、馬が来て、この牛と交接しました。その牛は、すぐに死んで
    しまいました」と。不思議に思っていると、(橘)儀懐朝臣が、「先月二日、任国の
    紀伊国にいた時、馬が牛と交接しようとしました」と云った。・・・

最後に、前年に内裏で起きた火事で焼けてしまった神鏡(三種の神器の一つの八咫鏡)の改鋳の可否
を議論した寛弘3年(1006年)7月3日の御前定において奇怪な出来事があったと同書ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

     三日、癸卯。 神鏡定/興福寺僧蓮聖の公請を停止

    ・・・議定の間、清涼殿(一条院北対)の上から、蛇が降りてきて東庭の前にいた。
    紫宸殿(一条院寝殿)の北の階[きざはし]の上から西方に向かった。これは
    内侍所の方角であった。皆が驚き恐れたことは極まり無かった。・・・

「内侍所」は神鏡を安置する所だから、何か意味が∑( ̄ロ ̄|||)ニャンだ!? 「西洋で邪悪の象徴と
される蛇が、中国では叡智のシンボルとされるのは、なぜか。」と帯にあったという、若桑みどり訳
『サイン・シンボル事典』三省堂、そんなことは同書のどこにも出てない上に「内容はエエカゲンで
翻訳もズサン」と高島俊男『お言葉ですが…③ 明治タレント教授』(文春文庫,2002)( ̄◇ ̄;)