アクセス数を増やしたければ、「200624読んだ本」の内容分析でもしてみたらオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
こーゆージョークを引用すると、中国語のスパムメールを大量に送り付けられたりしてヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
・・・と書いたせいなのか半端ない量の海外からと思しきスパムコメが当該記事に集中((;゚Д゚)ヒィィィ!

【読んだ本】

井上光貞&大曾根章介(校注)『日本思想体系7 往生伝 法華験記』(岩波書店,1974)

倉本一宏(日本歴史学会編集)『一条天皇』(吉川弘文館人物叢書,2003新装版)の「第九 説話集に
描かれた一条天皇」から引く(⌒~⌒)

    /最後に、一条天皇に対する後世の評価を見てみたい。・・・/ここでは、
    古代末から中世にかけて成立した説話集のうち、一条の人間像に触れているものを
    抽出し、かかる説話が、どのような背景のもとに成立したのかを検討する。/まず、
    大江匡房による往生伝で、康和三年から天永二年(一一一一)にかけて成立した
    とされる『続本朝往生伝』に見える一条像を見てみたい。その第一話「一条天皇」が
    一条に関する説話であるが、五つの部分からなっている。・・・/二つめは一条朝に
    おける各方面にわたる人材の輩出を語ったものである。「時の人を得たること、また
    ここに盛となせり」とし、親王(具平親王)・上宰(道長・伊周)・九卿(実資・斉信
    ・公任・俊賢・行成・扶義・惟仲・有国)以下、雲客(殿上人)・管弦・文士・和歌・
    画工・舞人・異能(相撲人)・近衛(随身)・陰陽・有験の僧・真言・能説の師・学徳・
    医方・明法・明経・武士と八六人の人名が列挙され、「皆これ天下の一物なり」と総括
    されている。九卿の箇所に「朝には廊廟に抗議(議定)し、夕には風月に頂参したり」
    とあるように、安定した政権運営と盛んな文芸の両面からの評価と言えようが、これが
    後世の聖代観につながっていく。・・・

土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』(中公文庫,1973初版→2004改版)も取り上げてたけど、やはり
全員を紹介してないので、本書所収の『続本朝往生伝』で86人を列挙してる224頁を披いた(⌒~⌒)
ネットで検索しても出てくるんだけど、そこはアナログ派なので、紙媒体で一応確認した次第(^_^;)

土田の同書にも出てたが、尾張兼時は「舞人」ではなく「近衛」で挙がってる( ̄◇ ̄;) 人長(宮中
の神楽の舞人の長)として高名も病と老いで舞に衰えが見える、と『紫式部日記』『御堂関白記』に
記されてた人物(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-07-31 )なのに(@_@;)

思うに、このリストは一条朝の同時代人の評価とは実は異なってるのでは(@_@;) 大江匡房(1041~
1111)は院政期の大学者とはいえ、『続本朝往生伝』は井上光貞「文献解題 成立と特色」が「・・・
康和[1099~1103]もその三年後、ほど遠からずして書きおわったものと見られる。」(本書728頁)
とするように、一条朝(986~1011)から約100年を経た時代の著作(@_@;) 今、1920年=大正9年の
分野別ベスト&ブライテストを選出するようなもので、86人を大江匡房が見知ってるとは限らないし、
「大伴兼時・秦身高[はたのさねたか]・多[おほの]良茂・同政方」の「舞」を観た上で「舞人」
に選んだとも考えにくい(@_@;) 「舞人」以外にも同時代の人々の評価とは異なる可能性(@_@;)
モチ同時代人よりも大江匡房の方が評価は客観的かもしれない(@_@;) しかし、「・・・一条天皇
当時の人として、続本朝往生伝にじつに八十六人も列挙されているということは、改めてまことに
驚嘆すべきことである。じつに一条天皇の宮廷は日本の宮廷の代表であり、そこに花開いた幾多の
学芸は、王朝文化の精粋であると言える。」という土田・前掲書の断言は、チト軽率な臭い(@_@;)

・「古今集に次ぐ勅撰和歌集である拾遺集」だとぉ!土田直鎮も無教養ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-03-26

・土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』は『紫式部日記』を誤読してるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-04