道雪葵「私とインドカレー屋のおじさんと、いつものラッシー。」、ジーンときたよ(´;ω;`)ウッ…

【読んだ本(バカチン)】

小和田哲男『戦国武将の実力 111人の通信簿』(中公新書,2015)

「統率力」「教養」「実行力」「企画力」「先見性」の5項目を各5点(ただ、1点はいない)の計25点
満点で「戦国武将」(?)111人を総合評価するランキング、昨日の1位(23点)から20位(19点)の
27人に続き、20位(19点)の残り14人(@_@;) ◎印は小生が興味のある「教養」で5点獲得(@_@;)

     小早川隆景  毛利本家を救った先見の明
    ◎荒木村重   信長に反旗、逃亡の虚実
     清水宗治   高松城兵救うため自刃
     本多正信   家康の参謀、あえて少禄
     長宗我部元親 「外貨」を稼ぎ、国力増強
     黒田官兵衛  智謀を秀吉も警戒
     最上義光   秀吉の将来性を先読み
     本多忠勝   豪勇かつ冷静、家康を補佐
    ◎高山右近   信仰か地位か迫られ
     片倉景綱   伊達家を存続させた補佐役
     加藤清正   人材登用で「築城の天才」
    ◎細川忠興   九歳で能舞台、茶道も精進
    ◎豊臣秀次   家督めぐり切腹、教養の名君
     黒田長政   城内に「異見会」の部屋
     
列伝と思って読んでいるが、知らなかったこともあり、勉強になるね(⌒~⌒) 例えば、長宗我部元親
について次の記述とか(本書68頁)∑( ̄ロ ̄|||)ニャンと!?

    ・・・四国全土の統一をほぼなしとげているが、土佐が四国の他の三か国に比べ
    条件が特別に良かったわけではない。豊臣秀吉が行った太閤検地のデータによると、
    石高はわずか九万八〇〇〇石に過ぎなかった。伊予三六万六〇〇〇石、阿波一八万
    三五〇〇石と比べると、その差は歴然としていた。/・・・

山内一豊は土佐一国20万石余と今まで思ってたけど、wikiの「山内一豊」の項を見てみたら「・・・
関ヶ原の戦いの小山評定において率先して徳川方に従った功績により、土佐国9万8千石を与えられた。
その後、高直しにより20万2,600石に加増された。」とあった(^_^;) それにしても、土佐国の土地が
こんなに痩せてたとは知らんかったよ( ̄◇ ̄;) 本書は「では、そんなに低い生産力で、四国全土を
席巻できたのはどうしてだったのだろうか。」と続いて、知らなかったこといっぱいあったわ(^_^;)

細川忠興についての次の記述(本書83頁)、小和田哲男の「教養」は1点だなオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

    ・・・/このように忠興は武将として華々しい活躍をしていたわけであるが、
    同時に文化人大名としても知られている。それは、父藤孝が『古今和歌集』の伝授を
    受ける当代一の文化人だったことも影響していたと思われる。/・・・

『大辞林』(1988年第一版第一刷)でも立項されている「古今伝授」を知らないのかヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
橋本不美男&有吉保&藤平春男(校注・訳)『新編日本古典文学全集87 歌論集』(小学館,2002)の
巻末の「歌論用語」の「古今伝授(受)」の項の説明を引くオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

    『古今集』の解釈に関する知識を、師から弟子へという形で秘伝として授受すること。
    『古今集』解釈の相伝は歌道家確立以後みられるが、それらは庭訓・家の説を血脈を
    通じて継承するという意識に支えられていた。古今伝授が形式を備え、歌壇で重要視
    されるのは室町中期以降で、文明(一四六九~八七)頃、宗祇が師の東常縁から伝授を
    受けて以来とされる。以後、宗祇から三条西実隆へ、連歌師肖柏等へ、また細川藤孝から
    智仁親王を含む門弟達へと盛んに行われた。その内容は、『古今集』の古写本・解釈を
    記した冊子類・三木三鳥等の秘説を切紙に書き込んだもの等を授受したのであるが、
    しだいに神秘化・秘儀化の傾向を深めた。・・・

「古今伝授」のことを「『古今和歌集』の伝授」なんて言わねーよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
よく掲載されたなぁ(゚ロ゚;) 読売新聞社内の序列は社会部がトップで文化部は下位だからか(@_@;)