GWは明けたけれど、図書館は開かないし、例のマスクも未だに配達されないし、特別定額給付金の
申請書類も発送されてないのに、毎年5月末期限の納税通知書がしれっと届いたら暴れちゃう(^_^;)
てゆーか、もし10万円からソレが天引きとかされてたらメチャ笑えるけどψ(*`ー´)ψヶヶヶ...

【買った本&読んだ本】

西村亨『歌と民俗学 民俗民芸双書』(岩崎美術社,1966→1985特装版)

Amazon出品者「待夢トンネル」に656円(500円+配送料等257円-101円ギフト券)で先月30日注文が
届いた(^_^;) 「お届け予定日」は「2020/05/02 - 2020/05/03」だったけど、発送直後に出品者から
「今日ゆうメールで送本しましたが休みが続くので配達は5月7日になるそうです。ご了承ください。」
と連絡あり(^_^;) コンディション説明文は「中古品-良い-1985年・特装版第1刷発行、函、きれいな
本です。」とあり、たしかに書き込み等モチ皆無の美品で、プチプチ梱包ではないが固めのビニール
に包まれ、紙の封筒に入れられて届いたけれど、問題ナシオン主権です〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

西村亨『王朝びとの四季』(講談社学術文庫,1979)は目から鱗ボロボロの知的刺激に満ち満ちた名著
だったわけだけど、西村亨の研究を「民俗学的国文学」(益田勝実による同書「解説」)と呼ぶのは、
本書と同じく「民俗民芸双書」の一冊だった井之口章次『民俗学の方法』(講談社学術文庫,1977)が
「国文学の民俗学的研究」とは何か、その在り方について少々論じててチト面倒臭いこともあるし、
とりあえずは本書の「はしがき」から引いておこう(._+ )☆ヾ( ̄ヘ ̄; )さっきからなげーんだよ!

    ・・・/本書は、題名とした「歌と民俗学」ということばが示すとおり、日本の
    民俗研究の面から和歌の特殊な性格を解明しようと試みたものである。ただ、
    ことわっておかねばならのぬは[ママ]、本書はいわゆる民俗学の採集や整理を
    目的としたものではないことである。それらはむしろ、この本では無縁のものの
    ように見えるであろう。しかし、民俗学が試みる日本人の生活の特色の解明は、
    本書の意図するところと全く一致している。いうなれば、日本の民俗を観察し
    考究することによって養われた目で和歌史を見直し、和歌史の上に新しい照明を
    当ててみようというのが、この本の企図なのである。/・・・

話は一転、清少納言は、その家集に入っている歌の数が少なく、また仕えていた皇后定子から詠歌を
免除されるなど、その才能に比して寡作という謎を萩谷朴(校注)『新潮日本古典集成 枕草子 上』
(新潮社,1977→2004:15刷)の頭注は次のように推論している〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・彼女は、父元輔が、あまりにも多作即詠の歌人であり、かつ古歌に通暁するあまり、
    しばしば古歌に酷似して剽窃にも等しい作品を発表していたことを、ひそかに気付いて
    恥じていたものかと思われる。しかも、清少納言自身も、父の轍を踏んで、独創の歌を
    詠むよりも、古歌に密着した和歌が、安易に口をついて出てくることを懼れて、むしろ
    意識して詠歌を避ける傾向があったものと推測される。・・・

萩谷朴『枕草子解環 二』(同朋舎出版,1982)では、「・・・父元輔の剽窃・模倣癖ということと、
それに対する清少納言自身の対処ということについては、まだまだ精密に調査し、深刻に考察する
べき問題が多い。」として、

    ・・・/『元輔集』の殊に屛風絵歌に、貫之・躬恒をはじめ古今時代の歌人の旧作が
    数多く混入していること・・・

について、「もし、元輔自身に剽窃・模倣の意図が全くなかったとしたならば」、どのような理由で
清原元輔の家集に「古今時代の歌人の旧作が数多く混入し」たのか仮説を三つ立てていたよ(⌒~⌒)

さて、本書をパラパラ読んでたら、次の件に目が留まったキタ━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━!!!!

    /家集というものの性格のあいまいさは、右のような事情によって、
    もともと他人の作品を包含する理由があったことによるのである。
    先に人麻呂について述べたように、その人の作と思い誤られた歌が
    家集に混入するばかりではなかった。根本において、家集が他人の作品を
    取りこんで、少しもさしつかえがなかったのである。しかも、なお、
    家集の性格については、ほかの方面から考えてみる必要がある。/・・・/
    こういういくつもの理由が重なって、家集というものの特殊な性格が
    かたちづくられてきた。だから、家集を直ちに個人の作品集という
    意味に考えることはできない。もちろん、次第にそういう意識が
    生じてくるのではあるが、それ以前に、書物の目的も使用法も違った時代が
    存したのである。/・・・