今日は雨だったのでニット帽に続いてマフラーも(^o^)丿 流石に手袋までするのはまだ早いかな(^_^;)

【読んだ本】

藤岡忠美&中野幸一&犬養廉&石井文夫(校注・訳)『新編日本古典文学全集26 和泉式部日記 紫式部
日記 更級日記 讃岐典侍日記』(小学館,1994)

宮崎莊平(全訳注)『紫式部日記』(講談社学術文庫,2002)上・下巻を読む際に、本書と、山本利達
(校注)『新潮日本古典集成 紫式部日記 紫式部集』(新潮社,1980→2016新装版)、長谷川政春&
今西祐一郎&伊籐博&吉岡曠(校注)『新日本古典文学体系24 土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級
日記』(岩波書店,1989)を併読し、萩谷朴『日本古典評釈・全注釈叢書 紫式部日記全注釈 上巻』
(角川書店,1971)を拾い読み(^^) 先日、萩谷・全注釈、山本・新潮、伊藤・新体系とともに本書の
中野・新全集も寸評(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-29 )した(^_^;)

 中野・新全集は本書と同様に全訳も頭注式で情報量が少なく、本文に出てくる和歌が勅撰集にも入集
 する事実すら記さず、また紫式部の初出仕年について伊籐・新体系が採る寛弘2年説か萩谷・全注釈や
 本書が支持する寛弘3年説かに学説は割れているのに(山本・新潮は寛弘2年と寛弘3年の両説併記)、
 寛弘元年説を唱えるイミフぶりな上、本文に「古今、後撰集、拾遺抄」とあるのは直後の件からして
 「古今集、後撰集、拾遺集」と訳すか、「拾遺抄」とは『拾遺抄』ではなく『拾遺集』である所以を
 注で説明すべきなのに、どちらもしない体たらくゆえ屑本認定ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! グレートバカチンガァ!!
 『更級』の犬養訳は良いよ(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-23 )(^^)

本書の『紫式部日記』は「凡例」「本文」(+頭注&現代語訳)「校訂付記」「解説」「参考文献」
「登場人物一覧」から成り、その「解説」(226~253頁)の中の233~234頁に、紫式部の初出仕年の
寛弘元年説の根拠が記されてた(゚ロ゚;) だったら、その旨、注記しとけ(ノ ̄皿 ̄)ノナンヤネン!┫:・’

「十一日の暁」で始まる年時不明の日記的記述について本書240頁は「・・・萩谷朴氏の説く寛弘五年
五月二十三日と見るのがもっとも妥当と思われる。」とし、伊籐・新体系の巻末「解説」の「紫式部
──人と作品」546頁も「・・・近時史実との照合などから寛弘五年五月あたりに求める説(萩谷朴の
二十三日、・・・」とするが、萩谷・全注釈は「二十二日」だよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! グレートバカチンガァ!!

でも、ざっと読むと、中野・新全集の「解説」は解り易いし、大胆な指摘も(^_^;) 例えば、229頁(^^)

    ・・・/この贈答歌は、返歌に鹿蒜[かへる]山、五幡[いつはた]など越前の地名が
    よみこまれているので、式部の越前下向の直前、二十二歳ぐらいの頃のものと推定されるが、
    詞書によれば、姉を亡くした式部と妹を失った[女]友だちがたがいに姉君、中の君と
    呼び合って文通していたという。姉妹を亡くした者同士が相手を亡姉亡妹に見たてて
    孤独感をいやしていたわけで、やや同性愛的傾向がうかがえるが、このような性格は、
    例えば[中宮彰子に仕える女房の]同僚の宰相の君の昼寝姿に魅力を感じて、
    思わず狂気じみた行為に及んでしまう情動と通底するものがあろう。/・・・

また236頁でも、藤原道長の愛人という説について、メチャ歯切れがよい記述がなされてたよ( ̄◇ ̄;)

    ・・・/このような道長の絶大な庇護があってこそ『源氏物語』は長編物語としての完成を
    見たといっても過言ではあるまい。そして式部自身も道長の寛大な包容力に惹かれ、やがて
    その情を受け入れるまでになったものと思われる。女郎花や梅の実の贈答[歌]をはじめ、
    日記に散見される道長への賛辞や温かいまなざしは、『尊卑分脈』に「御堂関白妾」とある
    注記を裏付けるもので、式部が道長の召人[=妾]であったことは疑問の余地がない
    と思われる。/・・・