蔵書は表紙カヴァーを外して読んでたけど、文庫本は最近もらった気仙沼帆布のブックカヴァー使って
読んでるのさ(⌒~⌒) 過去にも布製のブックカヴァーを何度かもらったけど、本の厚さに対応して調整
できなくて不便だから使ったことなかった(@_@;) その点、この気仙沼帆布のは調整可能だし、それに
ブックカヴァーの袖の部分に付箋紙(ポストイット)を挟んでおけることに気付いたのさv( ̄∇ ̄)ニヤッ
気楽に読める現代小説以外の蔵書は常に付箋紙を貼りながら読んでるから付箋紙は必携なのだp(・ω・*q)

【読んだ本】

宮崎莊平(全訳注)『紫式部日記(上)』(講談社学術文庫,2002)所蔵本

伊勢大輔タンの歌才を藤原道長と「示し合わせて」テストした紫式部のことを「いじわるな女性」と
発言したら、先輩である『源氏物語』研究者が「たいへんお怒りにな」った、という話が、井上宗雄
『百人一首 王朝和歌から中世和歌へ』(笠間書院,2004)に出ていることは前に紹介ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

『源氏物語』や『紫式部日記』の研究者たちは、紫式部を偶像視しているらしく、紫式部の欠点など
絶対に認めないという執筆態度が本書の至る所でも見受けられて、読んでるとメチャ笑えるよ(^_^;)

寛弘5年=1008年に敦成親王(後の後一条天皇)が産まれて5日目の夜、参集した公卿らがお祝いの歌
を詠み上げる中、藤原道長や藤原公任のパワハラを警戒したか、あるいは自意識過剰か、「女房達も
盃を受けて、歌を詠みなさい」と言われた時に備えて、紫式部が考えたのは次の歌(@_@;)

    めづらしき 光さしそふ さかづきは もちながらこそ 千代をめぐらめ

本書の語釈は〈「光」に世の光である若君の誕生と、満月の月光とを、「さかづき(盃)」に「栄月」
を、「もち(持ち)」に「望(望月)」をそれぞれ掛け、「さしそふ」に「光がさす」と「盃をさす」
の両用の意をきかせる。光・さしそふ・もち・めぐるは、月の縁語。「もちながら」は、下に置くこと
なく手に持ったままと、繁栄を続けたままの両用の意。・・・〉と如何にこの歌が技巧を凝らしている
かを丁寧に紹介しているところが、紫式部マンセーぶりの表われと思ったのは小生だけかしらね(^_^;)
だって、この歌が『後拾遺和歌集』にも入っていることは本書も特記しているけど、『後拾遺和歌集』
(の注釈書など)を確認しなかったのか、ある事実を指摘してないからね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
長徳4年(998年)に亡くなった紫式部の伯父の藤原為頼の歌も『後拾遺和歌集』に選ばれているので、
久保田淳&平田喜信(校注)『新日本古典文学大系8 後拾遺和歌集』(岩波書店,1994)から引く(^^)

    もちながら 千代をめぐらん さか月の 清きひかりは さしもかけなん

御覧の通り、紫式部は伯父の藤原為頼の歌をパクって、初二句を考えただけオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)