一度も足を踏み入れたことすら無いのは島根、徳島、高知、滞在せず電車で通過しただけなのは佐賀、
滋賀、福井、秋田の各県である(@_@;) どれも小生の研究対象施設が存在しないからだが、隣接県に
行くついでに島根、徳島、高知にある準研究対象施設を廻ろうにも小生的には行き止まり感(´ヘ`;)
早朝から「配達中」と表示されたまま何度も拙宅前を通過し時には隣家に配達してるにもかかわらず、
なかなか拙宅に配達されないけど、荷を車に積む際に廻るルートを考慮しないのか?と素人は思う(..)
昨夜は毛布を掛けて寝たよ((;゚Д゚)ヒィィィ! 梅雨と夏が長かった分、秋が短く、既に冬入りか( ̄◇ ̄;)

【読んだ本】

品川和子(全訳注)『土佐日記』(講談社学術文庫,1983)

ちなみに、本書3頁の「まえがき」は、次のような文章で始まってたよん〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    土讃線が開通して、土佐の国すなわち高知県へゆく旅は、たいへん容易になった。
    それ以前は、瀬戸内海から大洋へ出て、阿南の海岸の沖を南下し、波高き「おはな」
    すなわち室戸岬をめぐって、今度は北上して高知までゆく──この海の旅はなかなか
    難儀であったのである。/・・・

藤岡忠美『紀貫之』(講談社学術文庫,2005)も「遠国[おんごく]」ぶりを解説するヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    ・・・/なにしろ土佐は「遠国」であり、都からのけわしい道ゆえに流刑の地として
    「遠流[おんる]」の地に選ばれていたほどであった。『延喜式』の「刑部省」の条に、
    伊豆・安房・常陸・佐渡・隠岐とともに「土佐」の国名が「遠流」にあげられ、
    都からの路程は「一千二百二十五里」と記されている。・・・また『延喜式』の
    「主計[かずえ]上」には南海道の国として「土佐国」をあげ、その行程として
    「上り三十五日、下り十八日、海路二十五日」と記す。この日数は米塩や布絹
    などの物納品を都へ運搬しそして引き上げてゆくものだが、日数だけで比べると
    土佐は大宰府・常陸より遠く、下野や佐渡に匹敵する。・・・

ところで、小島憲之&新井栄蔵(校注)『新日本古典文学大系5 古今和歌集』(岩波書店,1989)巻末
の付図〈「延喜式」による行政区分および京からの行程〉にも、土佐は「35─18(25)」とあるけど、
「*数字は日数の上限,下限を示す.」「*( )内は海路による日数を示す.」との説明文が(゚ロ゚;)
前者の説明不足で誤解されそうC= (-。- ) フゥー ちなみに、この付図によれば、大宰府は27─14(30)、
常陸は30─15、下野は34─17、佐渡は34─17(49)となっているよん〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ