キタ━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━!!! キタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!! ヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪
予報と違う28度で、曇ってて涼しく猛暑から解放(T_T) もう5日後まで30度以上の予報は無い(ノ_-;)ホッ…

【読んだ本】

金田一春彦『ことばの歳時記』(新潮文庫,1973)所蔵本

待望の秋が来たと勝手に判断し、本書の8月19日の「けさの秋」の最後の段落を引くかなC= (-。- ) フゥー

    ・・・/一般に日本人は、季節の盛りよりも、冬から春へとか、夏から秋へとか
    移るその変わり目に着目する傾向があるようで、和歌にも「秋来ぬと目にはさやかに
    見えねども風の音にぞおどろかれぬる」と、知らないうちに忍びこんだ秋をうたった
    ものが多い。過ぎ去ってゆく季節に対する愛惜の情と新しく迎える季節に対する
    ほのかな期待が、四季の変化の激しい風土に住む日本人に、すぐれた和歌や俳句の作品を
    作らせたと言っていい。

この藤原敏行の『古今和歌集』の歌は「秋立つ日よめる」という詞書が付いているので、暦の上で秋が
来たことを知った上で詠んでいるわけだから、「知らないうちに忍びこんだ秋をうたった」とあるのは
何かヘンな気がする(´・_・`) 「過ぎ去ってゆく季節に対する愛惜の情・・・が、・・・すぐれた和歌
・・・の作品を作らせた」とあるのは御尤もなんだが、あのメチャクチャ暑い京都で暮らしてた人々が
「過ぎ去ってゆく」夏を惜しむ和歌を詠んだとは思えないんだけど、あるなら挙げてみろやヾ(`◇´)ノ

・『百人一首』にはそれぞれの作者の代表作が選ばれてるわけではないことは藤原敏行を見ても解る(^^)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-08-15

・新潮社の校閲は出版界一と自画自賛するが、西行が歿したのは文治6年(1190年)2月16日ヾ(`◇´)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-02-15

・金田一春彦が紹介してるのは西行の「逸話」じゃなく「古典落語の演目の一つ」or「伝承」の類(-"-)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-04-04