子供心にはメガネをかけてる人は読書家で頭も良さそうに見えて憧れたものだが、今ダイソーで買った
老眼鏡を使って読んでる姿は若い頃より読書量は減ったし頭も良さそうには見えない気がする(´・_・`)
慣れとは怖いもので何度も聴くうちに内田真礼「鼓動エスカレーション」が名曲の如く思えてきた^_^;

【読んだ本】

樋口芳麻呂(校注)『王朝秀歌選』(岩波文庫,1983)所蔵本

本書所収の『三十六人撰』は藤原公任が過去の優れた歌人36人を選んだものだが、他は3首ずつなのに
6人の歌人だけ10首ずつ挙げている( ̄◇ ̄;) 藤原公任から高評価された6人とは柿本人麻呂、紀貫之、
凡河内躬恒、伊勢タン、平兼盛、中務[なかつかさ]なんだけど、初学者の小生には中務が浮いてる
ように見える(@_@;) 藤原公任の御眼鏡にかなった中務(という言い方は中務の方が藤原公任よりも
年上だろうから不適切だけど)の歌10首を本書の『三十六人撰』からとりあえず引く_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

    忘られて しばしまどろむ ほどもがな いつかは君を 夢ならで見む

    鶯の 声なかりせば 雪消えぬ 山里いかで 春を知らまし

    石上[いそのかみ] ふるき都を 来て見れば 昔かざしし 花咲きにけり

    更級に 宿りは取らじ 姨捨の 山まで照らす 秋の夜の月

    さやかにも 見るべき月を 我はただ 涙に曇る 折ぞ多かる

    待ちつらむ 都の人に 逢坂の 関まで来ぬと 告げややらまし

    我が宿の 菊の白露 今日ごとに 幾世積もりて 淵となるらむ

    下くぐる 水に秋こそ 通ふらし 掬[むす]ぶ泉の 手さへ涼しき

    咲けば散る 咲かねば悲し 山桜 思ひ絶えせぬ 花の上かな

    天の川 川辺涼しき たなばたに 扇の風を なほや貸さまし

ちなみに、「忘られて」は「娘に先立たれて詠んだ歌。」、「咲けば散る」は「子に先立たれたころ、
東山に籠って詠んだ歌。」、「さやかにも」は「月明の夜、源信明への返歌。」、「我が宿の」は
「但し拾遺集は、・・・[清原]元輔の作とする。」と、それぞれの脚注には記され、また巻末の
「出典一覧」によると、「更級に」と「待ちつらむ」の2首だけが勅撰集に入ってなくて、「石上」が
『新古今和歌集』、「下くぐる」が『新千載和歌集』、他の6首は『拾遺和歌集』に入集の由(⌒~⌒)

一流の歌人で目利きの藤原公任が選んだ10首だから当然だけど、中務の歌人偏差値は高い印象(^_^;)
ちなみに、小生の好みは「鶯の声」「石上」「さやかにも」「下くぐる」「咲けば散る」(〃'∇'〃)
だけど、10首ではなく3首しか選ばれてない他の歌人、例えば、在原業平なら「世の中に 絶えて桜の
なかりせば 春の心は のどけからまし」、遍昭僧正なら「末の露 本の滴や 世の中の 遅れ先立つ
例なるらむ」、壬生忠岑だと「春立つと いふばかりにや み吉野の 山もかすみて 今朝は見ゆらむ」
を本書は先ず挙げていて、こーゆー初学者でも唸らされる天下無双の秀歌とは小生には思えぬ(^_^;)

脚注には歌の全訳ないし部分訳も出てるし、上記の如き作歌事情なども記されてるなど、本書は便利
だけど、「鶯の声」は『拾遺和歌集』では藤原朝忠の作とされてることが注記されてないヾ(`◇´)ノ

・和歌、漢詩、管絃の全てに秀でてた大納言の藤原公任、実はゾンビまで造っていたヒィィィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-03-08

・詠んだ歌を藤原公任から批判されたショックで亡くなってしまった『蜻蛉日記』の作者の弟( ̄◇ ̄;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-03-12