モモイロヒルザキツキミソウ、庭のあちらこちらで咲いてるんだけど、ホント可愛いよねぇ(〃'∇'〃)
明日は楽天市場での今月最後の買い物をしようと思ってたら、購入候補の古本、先に買われちゃった(..)

【読んだ本】

桑原博史(全訳注)『西行物語』(講談社学術文庫,1981)所蔵本

苑子タンがアホな説明( https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-07-11 )してた芭蕉
『おくのほそ道』に出てくる西行の歌、久保田淳『新古今和歌集全注釈 一』(角川学芸出版,2011)の
訳も一緒に引く(⌒~⌒)

    道のべに 清水流るる 柳かげ しばしとてこそ 立ち止まりつれ

      道のほとり、清水が流れる柳の木陰に、ほんの少しの間涼もうと思って
      立ち止まったのだが……。

この「……」の部分の含意は、石田吉貞『新古今和歌集全註解』(有精堂出版,1960)による同歌の訳を
読めば解るv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    道のほとりに、清水がさらさらと流れる柳の木蔭があるが、私は、ほんのちょっとの間
    休もうと思ってそこへ立ち止まったのに、餘りの涼しさに、思わず長くなってしまったよ

「しばしとてこそ立ち止まりつれ」の「こそ・・・つれ」は逆接に解されると各注釈書は指摘(⌒~⌒)

窪田空穂『完本新古今和歌集評釈』上巻(東京堂出版,1964)が、この歌の心を解説してくれてる(^^)

    ・・・行程を期して道を歩んでいる身の、休息などすべきではないが、
    道のべに清水の流れている柳かげを見かけると、休息の誘惑を感じて、
    しばしと思って立ちどまった。だが休息の快さからつい時を過ごしてしまい、
    心づいて立ち上がった時、そうしたなりゆきになった自身に、
    おのずから省察の念が起こって来た。それがこの歌の心である。・・・

だが、和歌に疎いのでは?と再三指摘してきた桑原博史、本書で次のように訳してたよC= (-。- ) フゥー

    道ばたの清水の流れている柳の木陰の涼しさよ、わたしはしばしの憩いを求めて
    立ち止まるのだ。旅の疲れをいやそうと思って──。

『西行物語』、作者は西行の生涯や和歌を歪めているし、訳注者の和歌の訳も信用できないね(-ω-、)
    
・恋歌を「出家遁世の心境を吐露したもの」としたり『西行物語』作者がフリーダムすぎヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2016-07-03

・『西行物語』作者の和歌に対する見識の無さは、「実方中将の墓を訪れる場面」からも判るよ(-ω-、)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-03-09

・桑原博史は国文学者だけど物語文学が専門で和歌には疎いのではないかヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-05-24

・伊勢タンの秀歌「散り散らず」を桑原博史(校注)『新潮日本古典集成 無名草子』が謎の解釈(゚ロ゚;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-05-29

・「今まで和歌と物語とは、別々に研究」され「和歌研究と物語研究とが、いささか遊離していた」(..)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-07-03