都会の流行が東京都シガンシナ区の辺鄙な田舎町にまで押し寄せるとは∑( ̄ロ ̄|||)にゃんですと!?
小生の地元の町にも黒糖タピオカミルクなどタピオカドリンクを売り出す店が出現したヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

【読んだ本】

丸谷才一『男もの女もの』(文春文庫,2001)所蔵本

このエッセイ集に入っている「菜の葉に飽いたら桜にとまれ」と題した一篇の書き出しを引く(@_@;)

    笑つてはいけませんよ。蝶について、わたしは一つ重大な疑問をいだいてゐた。
    日本には昔、蝶はゐなかつたんぢやないかといふ疑問である。もちろんそんなことは
    あり得ない。もしも蝶がゐなければ菜の花が困る。絶対にゐたはずである。
    蝶が昔はゐなくつて、後世になつて突如として出現したはずはありません。
    菜の花に限らず、いろんな花へ蜜を吸ひに行つて、花粉を翅につけ、それを運んだに
    決まつてゐる。さう打消すたびにわたしは、しかし王朝和歌で蝶が歌はれないのは
    どうしてだらうと思ひ悩むのであつた。/『古今集』には蝶は出て来ない。/
    『千載集』にも、『新古今』にも出て来ない。/『万葉』にだつてないんです。/
    をかしいぢやないか。/・・・

単に例示列挙したつもりだったのかもしれないが、『古今和歌集』『千載和歌集』『新古今和歌集』
『万葉集』は王朝和歌の詞華集=アンソロジーで王朝和歌から秀歌を選び出したものだけど、それは
王朝和歌の一部分でしかなく、アンソロジーに「蝶」が出て来ないからといって、全ての王朝和歌で
「蝶」が詠われていない、とまで言い切ってしまうのは、早計かつ勇み足というものだろう(@_@;)

藤原定頼(藤原公任の嫡男)の家集『四条中納言定頼集』(明王院本)に入る歌&詞書を、森本元子
『私家集全釈叢書6 定頼集全釈』(風間書房,1989)40頁から、【通釈】も一緒に引くC= (-。- ) フゥー

      おなじ月のつごもりの御物忌に籠りて、つれづれなりしかば、
      蝶のかたを造りて撫子の花に据ゑて、小式部内侍のもとに

    こちこてふ ことを聞かばや とこなつの 匂ひことなる あたりにもゐん

       同じ月の晦日の御物忌に籠って、所在なくてしかたなかったので、
       蝶の形を造って撫子の造花にとまらせて、小式部内侍のところに(届けた歌)

     こちらへ来いという言葉を聞きたいものですね。床[とこ]の感じが
     格別のあなたのそばにもいましょうに。

小式部内侍は和泉式部の娘で定頼とも関係があり、「とこなつ」は撫子の異名で「床」に掛ける(^_^;)
さて、同書41頁の【語釈】は初句の「こちこてふ」について次のように解説している( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    「此方来[こちこ]てふ」(こちらへ来いという)に「胡蝶」をかける。

かなり古いんだけど、佐伯梅友&森野宗明&小松英雄(編著)『例解古語辞典 第二版─ポケット版』
(三省堂,1985第三刷)が立項する「てふ」の「語形」と「要説」という両解説を引いておく(@_@;)

      【語形】

    和語「カハラヒコ」にかわって、平安時代、古代中国語のtiepを語源とする外来語が
    定着したもの。当時の日本語では、いかにも蝶がひらひらと飛ぶようすを連想させる
    語形であったが、音韻変化によって、現在では「チョウ」となり、その印象を失っている。

      【要説】

    伝統的に文学の素材になっていない。右の用例[『源氏物語』の「玉鬘」「胡蝶」]は、
    いずれも中国風の衣装や扮装をさしたもの。

藤原定頼の上記の歌(言うまでもなく、王朝和歌である)の「てふ」も「中国風」なのかしら(@_@;)