イライライライライライライライライライライライライライライライライライラウヒャヒャと視聴した
オリ戦(^_^;) その裏にイライラも10回表の2塁打3本&3塁打4本で9得点には笑い止まらず♪( ̄▽+ ̄*)
朝、親鳩が居なかったから雛鳥を撮ろうとケータイを近づけると、立ち上がって何度もつっつく仕草
をするぐらい大きくなっていたが、その後も親鳩の姿を見かけず、育児放棄したのかもと心配(-ω-、)

【読んだ本】

清水好子『王朝女流歌人抄』(新潮社,1992)所蔵本

ある有名歌人についての地方イヴェントを紹介した某ブログ、伝承を史実と誤解したコメばかりだが、
拙ブログとは無縁の人達だし〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ wikiですら確証ナシ連発なのにねぇ(^_^;)

wikiと言えば、超一流女流歌人の「和泉式部」の項を見てみたら、次のような記述があった(@_@;)

    ・・・/長保元年(999年)頃までに和泉守・橘道貞の妻となり、夫と共に和泉国に入る。
    後の女房名「和泉式部」は夫の任国と父の官名を合わせたものである。道貞との婚姻は
    後に破綻したが、彼との間に儲けた娘・小式部内侍は母譲りの歌才を示した。帰京後は
    道貞と別居状態であったらしく、冷泉天皇の第三皇子・為尊親王との熱愛が世に喧伝
    されるが、身分違いの恋であるとして親から勘当を受けた。/為尊親王の死後、今度は
    その同母弟・敦道親王の求愛を受けた。・・・

為尊親王と熱愛 → 同親王の死 → 同母弟・敦道親王と熱愛が和泉式部の恋愛遍歴とされてる(@_@;)

ところが、清水好子は本書の「和泉式部」の章で次のような記述をしてチト思わせぶりC= (-。- ) フゥー
 
    /・・・帥宮[=敦道親王]の愛を受ける前にすでに、宮の同母兄弾正宮為尊親王と
    恋仲であったというが、その第一資料はただ一つ『和泉式部日記』で、それ以外には
    主なものはのちの時代の『栄花物語』『大鏡』しかない。ここで私が採り上げる
    和泉式部の歌を載せた『和泉式部集』『和泉式部続集』(榊原本)一五四九首の中にも、
    為尊親王とはっきり判る人物と贈答した歌は見出せない。/・・・

「為尊親王との熱愛」は『和泉式部日記』による虚構とする学説を明らかに意識した書き方かと(^_^;)

小松登美(全訳注)『和泉式部日記(上)』(講談社学術文庫,1980)の記述を引いとく( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    ・・・/和泉と為尊親王との熱烈な恋は、彼女の生涯を決定づける大事件であったと
    一般に見られている。これに対し最近藤岡[忠美]氏から、1、この二人の恋は、
    はたして、従来考えられているように熱烈な恋であったかどうか、2、『和泉式部日記』
    冒頭に示されているような親王の死後一年にわたる和泉の悲嘆・追慕はありえたかどうか、
    3、二人の恋愛は道貞との離別、父からの勘当の原因ではないとの見解を示された
    (「和泉式部伝の修正──為尊親王をめぐって──」『文学』昭和五十一年十一月号)。/
    この藤岡氏の見解は注目すべきものであり、ことに学界で定説化していた従来の説に対し、
    改めて根本的にその真疑[ママ]を問い直されたという点で意義が大きい。・・・