読んで誰得!第2回ソネブロ最新事情(^o^)丿ヾ( ̄o ̄;)オイオイ無内容すぎ!某ブログがnice!を受付ない
設定に変わった途端、nice!獲得がお目当てと思しき連中の何人かが毎日コメし始めた( ̄◇ ̄;)ナニソレ!?
小生はロム派に転身したが、いつのまにか誰もコメしなくなったので、よく見たらコメ承認制に(゚ロ゚;)
そこで、久しぶりにコメントしてみたが、いつまで経っても表示されず∑( ̄ロ ̄|||)にゃんですと!?

【読んだ本】

角川書店編『日本史探訪 6 源平の争乱』(角川文庫,1984)所蔵本

続けて、梅原猛&円地文子「平家滅亡 栄華の絶頂で滅亡した一族」(構成 野水清)を読んだ(´・_・`)

対談で、清盛の嫡孫で重盛の嫡男の「維盛が戦線をひそかに離脱する原因」に話が及び、円地文子曰く、

    もう一つは、重盛の家というものが、はじめから頼朝などに好意をもたれている
    というようなことから、なんとなく二位尼とか宗盛とかから、疎外されている
    ような感じを、維盛自身ももっていたんじゃないでしょうか。・・・

「頼朝などに好意をもたれている」のは「重盛の家」でなく頼盛(清盛の異母弟)の家かと(@_@;)
『平家物語』の巻第五の「早馬」の章段で、頼朝挙兵の報に清盛が激怒した台詞の一部を杉本圭三郎
(全訳注)『平家物語(五)』(講談社学術文庫,1982)の現代語訳で引く(^^)

    「頼朝は[平治の乱で]すでに死刑に処するところであったのを、故池殿が是非にと
    嘆願なさったので、流罪ということに減刑したのだ。・・・

「池殿」とは平忠盛の後室で清盛の継母の池禅尼で、その子の頼盛は現に壇ノ浦後も生き残った(^_^;)
とはいえ、天下の円地文子が「重盛の家」と言う以上は、何か根拠があるのかもしらんけどね(´・_・`)

梅原猛も「知盛ってのは、たいへん魅力的な人物じゃないかと思うんです」として、その理由に昨日の
木下順二と同じ場面を紹介するので、杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(十一)』(講談社学術文庫,
1988)の現代語訳で「先帝身投」の章段の冒頭部分を引く(^^)

    源氏の軍兵どもがすでに平家の船に乗り移ってきたので、船頭や水夫たちは射殺され、
    斬り殺されて、船の向きをかえることもできず、船底に倒れ伏してしまった。新中納言
    知盛卿は、小船に乗って天皇の御座所となっている御船に参り、/「平家の世ももはや
    これまでと思われます。見苦しい物はみな海へお棄てください」/といって、船の艫へ、
    舳先へと走り回り、掃いたり拭いたり、塵を拾ったり、自身で掃除なさった。女房達は、
    /「中納言殿、戦いのありさまはどうなりましたか、どんな様子ですか」/と口々に
    たずねられると、/「珍しい東国の男をご覧になられることでしょう」/とこたえて、
    からからと笑われたので、/「こんなときに、なんという冗談ですか」/といって、
    声々にわめき叫ばれた。/・・・
   
この一節だけでも、たしかに知盛の魅力は解る(〃'∇'〃) だけど、「船の艫へ、舳先へと走り回り、
掃いたり拭いたり、塵を拾ったり、自身で掃除なさった」というのには、チト笑ってしまった(^_^;)