サイドバーのカレンダーに文字や絵を表現するアイデアを思い付くも毎日更新が目標ゆえ断念(..)
毎日更新をノルマとし読むような気分じゃない日でも何かしら読んで書くよう自分を追い込む^_^;
と「160603読んだ本」に書いてたが、そんな「目標」「ノルマ」なんか知らんなぁC= (-。- ) フゥー
昨日の記事、何故か尻切れ蜻蛉になっちゃってたので、先ほど「追記」をしといた( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

【読んだ本】

杉本苑子『春風秋雨』(文春文庫,2001)所蔵本

本書は苑子タンの「六冊目の随筆集」(「あとがき」)であり、読めば胸にじいんとくる珠玉の一篇
「一緒に無に還りたい」も収録する(;_;) 本書の「暮らしの中のこぼれ話」から「亥年つれづれ草」
「一粒の目」「ひとり旅」「小さな始まり」「猫の死」「心朽ちたり」を読んだ(⌒~⌒) 苑子タンは
短篇小説の名手だと思っているが、これらの随筆も優れた小品かとv( ̄∇ ̄)ニヤッ 「小さな始まり」も
丹波川・多摩川の〈源流〉についての父親の思い出を綴って余情ある一篇だから個人的に好きだけど、
「亥年つれづれ草」からメモっておく(⌒~⌒) 中伊豆湯ヶ島の「いのしし村」の話から始まり、話が
色々と飛んで、亥年の「歴史上の人物」について、ひとくさり論じた後、

    ・・・/そういえば、私の父も明治三十二年生まれの亥年人間だった。気弱できまじめで、
    猪突猛進どころか、おとなしく人のあとからついて行くほうを好む性格だから、歴史に名を
    とどめるどころか、市塵に埋れて一生を終わった猪の一匹にすぎなかった。/むろん酒など
    一滴も飲まないし、飲めもしない。あり合わせの板切れに篆字の章句を彫って、柱掛けに
    仕上げたり、私のためにこつこつ蔵書目録を作ったりするのが、唯一無上の楽しみといった
    人だったのに、その父が亡くなった直後、おそらく小さく新聞に載った死亡記事欄を見たの
    だろう。荻窪のバーのママなる女性がお悔やみの電話をかけてきて、/「お父さまは毎晩、
    店に飲みにいらして、娘自慢をなさっておいででした」/と言う。役所を定刻に出て、
    判で押したように四十分後には帰宅していた父である。「それは人ちがいでしょう」/と
    返事したが、ママさんは信じかねる風で電話を切った。その「杉本苑子のニセ父」は、
    よほど上手に演技していたにちがいない。/亡父の性格からすれば、不快がるにきまっている
    詐称だから、当座、私も不愉快だった。しかし今となれば、有名でもない女流作家の父親に
    なりすまし、作り話でママや相客を煙に巻きながら酒を飲んでいた一人のおじさんの心情を、
    ふと思いやりもする。擬態の仮面をかぶらなければ安心して酔えなかった彼……。
    その屈折の原因は何だったのだろうか。/・・・

・苑子タンの「遺言」を切り刻んだために意味不明な内容となり、天声人語子の文章力が疑われる(-"-)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-06-04