シャアにはなれぬよ(´ヘ`;) 坊やだからさC= (-。- ) フゥー 夜明けと同時に目が覚めちゃって深刻な
寝不足となり、アイマスクして寝始めたけど、眠ってる間に外してしまい、依然として夜明けとともに
目が覚めちゃう(ノ_-;)トホホ… 寝ている時に美しいメロディーなどを思い付いてもすぐに書けるようにと
シューベルトは眼鏡をかけて寝てた由( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚ ブックオフ本10%オフ券、家族が1枚活用(^^)v

【読んだ本】

會津八一『續渾齋隨筆』(中公文庫,1980)所蔵本

本書の表紙カヴァー袖には「カバー題字 著者(昭和十七年創元社刊『渾齋隨筆』より)」とあって、
表紙カヴァーの題字は著者の生前の随筆集の題簽の上に「續」の活字を冠したものだが、よく観ると、
「隨」が「随」と書かれてるじゃんかヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!! 「筆」も「茟」になってる(..)
勿論、書の良し悪しは語れないし、會津八一は有名な書家だけど、この題簽の字は好みに非ず(´・_・`)

會津八一なら何か書いてそうと思って披いてみたらビンゴで、「燒失した法隆寺壁畫」(初出は1949年
1月28日「夕刊ニイガタ」)と「壁畫問題の責任」(1949年1月31日「新潟日報」)の二篇発見( ̄◇ ̄;)

1949年1月26日に法隆寺金堂で火災があって壁画が失われた件、後篇はメチャ過激だったヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    ・・・/この二三日は、どこへ行つても、その談ばかりで、誰も彼もが惜しかつた
    惜しかつたといひ合つてゐるが、こんな場合に、何も皮肉をいつたりするのではないが、
    この中で、ほんとに惜しかつたと思つてゐる人が實はどれほどあるのであろうか。
    一般の人たちは、小學校でも中學校でも、その名を敎へられてゐる寺のことであるし、
    何うかすると世界の寶だ、日本の誇だと講演や書物などで聞かされてゐるし、
    急にそれがなくなつたのであるから、いかにも残念だといふぐらゐのことかも知れない。
    しかしそれだけのことなら、それは一應の理屈といふもので、その間にしみじみとした
    實感が少しも籠つてゐない。あれほど好きで好きでたまらなかつたものが急になくなつて、
    ほんとに泣くに泣かれないほどにくやしい。それにつけても二度とこんなまちがひを
    起したくない。といふのでないとこんな場合にぴつたりしない。大多數の國民にとつて、
    ほんとに切つても切れぬほどの愛着が持たれてゐないものを、ただ口さきだけで、
    殊勝らしいことをいひ合つてゐるのなら、小賢しく常識的な物言ひをするといふだけで
    ただそれだけではほんとにつまらぬことだ。つまらぬといふよりはむしろ惡いことだ。
    ・・・

金堂壁画複写事業の現場の苦労と、同事業に対する政府の支援の無さを、町田甲一『大和古寺巡歴』
(講談社学術文庫,1989)と同様に、本篇もまた指摘しており、政府→大臣→議会→国民という論理で
国民の責任とし、その再発防止のために国民の反省と自覚を促したものかと(^_^;) また、もう一つ、
奈良等の美術品に対し国民以上に愛着を持つ外国人の存在を知っていたことも根底にあるかと(^_^;)

「日佛會館の館長」だった「アンリ・マスペロ」は、「・・・あの金堂の中にある澤山の佛像の中で、
ただ釋迦如来と藥師如来の二體だけを見くらべるのに、二時間あまりもかかつて、この二つの佛像の間
を夫婦で何十ぺんとなく行つたり來たりして少しも飽きるけしきもなかつた。」というヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

「これらは私の經驗した實例の二三であるが、この中にもすぐれた美術品や作者に對して歐米の心ある
人たちの持つところのまじめな心がけや眞劒な態度がよく窺はれる。」とある中で小生好みは以下(^^)

    ・・・奈良のことではないが、私の大學にミスター・ハッパーといふアメリカ人がゐた。
    有名な浮世繪研究家で賣買の仲介などもしてをり、ある角度からずゐぶん骨を折つて
    勉強したものと見えて、日本人の間でも一方の權威として認められてゐた。この人が
    病氣で亡くなつた時に遺言して、淺草にある一立齋廣重の墓の隣に自分の墓表をたてさせて、
    その石には「ココニ廣重ノ一人ノ友ハ眠ル」と英語で刻ませたものだ。穏やかな好々爺の
    やうに見えたが、心の底にはかうした凛とした、いはば命がけの氣持が流れてゐたことが
    思はれてゆかしかつた。/・・・

ほとんど関係ないけど、渡邊學而『大作曲家の知られざる横顔』(丸善ライブラリー,1991)によると、
生前の希望で、シューベルトは前年に亡くなったベートーヴェンと並んで墓地に埋葬された由(^_^;)