縁側に足跡を残してく猫さんがいるが、バケツの水を飲んだ後、わざわざ濡らして捺したのか(@_@;)
昨夜22時過ぎに寝床に入ろうとしたけど、2階の室温が26度もあって無理((;゚Д゚)ヒィィィ! 換気扇も含め
換気システムを作動してみたけど、ほとんど下がらず(ノ_-;)ハア… 夜明けとともに目が覚めちゃうので、
試しにアイマスクをして寝てみたけど、5時に目が覚めてアイマスクも無くなってた(´ヘ`;) 寝ながら
アイマスクを外したり出来ないように、今夜から後ろ手に縛って寝ることにするオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

【読んだ本】

橋本不美男&有吉保&藤平春男(校注・訳)『新編日本古典文学全集87 歌論集』(小学館,2002)所蔵本

第四代勅撰集『後拾遺和歌集』に入っている後三条院越前の歌と詞書を、それぞれ藤本一恵(全訳注)
『後拾遺和歌集(四)』(講談社学術文庫,1983)による現代語訳とともに引く(⌒~⌒)

     後三条院御時、月あかかりける夜、侍る人など庭におろしてご覧じけるに、
     人々おほかる中に、わきて歌よめと仰せごと侍りければよめる

    いにしへの 家の風こそ うれしけれ かかることの葉 ちりくと思へば

      後三条院の御時、月のあかるかった晩、伺候している人たちを庭におろして
      月をごらんになっていましたが、人々の多い中に、とりわけて、(越前に)
      歌を詠みなさいとお言葉がありましたので詠んだ歌。

      (歌の家だという)昔から伝わる家風というものはうれしいことよ。
      (とりわけ私に詠めという)もったいないお言葉をいただいたかと思いますと。

その場に大勢の人が居る中、「家風」のお蔭で、後三条院から詠めと指名されて嬉しい、という歌(^^)

作者の後三条院越前は、父は源経宗だが、母は高階成順と伊勢大輔タンの間に生れた女性(源兼俊母)
なので、頼基、能宣、輔親、伊勢大輔タンと優れた歌人を代々輩出した大中臣家に連なっていることを
指しての「家風」(^^) 代々と記したように、母の源兼俊母の歌も『後拾遺和歌集』に入集しているし、
更に、同母姉妹(源経宗と源兼俊母の間の娘)である大宮越前の歌も『後拾遺和歌集』入ってる(^_^;)

『後拾遺和歌集』には伊勢大輔タン、大中臣能宣、大中臣輔親の歌は勿論、康資王母と筑前乳母という
高階成順と伊勢大輔タンの間に生まれた源兼俊母の同母姉妹たちの歌も入集してて大中臣家は勅撰歌人
だらけだし、撰者の藤原通俊の母も高階成順と伊勢大輔タンの間に生まれた娘(父は藤原経平)(^_^;)

後三条院越前の上記歌は小生のような素人には特に素晴しいとは思えないけど、『後拾遺和歌集』では
同歌の前に康資王母の歌、更にその前には大中臣能宣の歌が置かれてて、能宣のは自らの編んだ家集が
広く世に広まることを願う歌で、康資王母のは母の伊勢大輔タンの家集を求められたので貸したという
歌なので、後三条院越前の歌も単独にではなく、この3首の並び・セットで評価すべきなのかも(^_^;)

なお、歌人で「越前」と言えば、フツーは『新古今和歌集』に7首入集の大中臣公親の娘の方を指す^_^;

では、本書に入ってる源俊頼(第五代勅撰集『金葉和歌集』撰者)の歌学書『俊頼髄脳』(校注・訳は
橋本不美男)に、後三条院越前の同歌についてのエピソードが載ってるので、現代語訳を引く(´・_・`)

      いにしへの……(昔から続いている家の風──伝統──こそ嬉しいことである。
      このようなありがたいお言葉──紅葉の葉──を私に寄せられると思うと)

    この歌はこうである。後冷泉天皇の御代であるが、十月ぐらいの時、月がみごとで
    あったので、天皇は女房たち多数を召し連れて、紫宸殿にお出ましてなさって、
    月をめでて遊宴なさった時に、楓の紅葉したのをお祈りになられて、召し連れた
    女房たちの中に、歌人で有名な伊勢大輔の孫にあたる越前がいたのを御目に留められて、
    それに紅葉した楓を投げ与えられて、「この女房たちの中では、今、私がしたことの返事を、
    お前がしなさい」と、お命じになられたので、そう時を隔てずに、言上した歌である。
    この歌をお聞きなさって、「歌柄はほどほどの歌であるが、さすが重代の歌人、
    早さはすばらしいものである」と、感心しておっしゃられたという。・・・

即詠だった点を評価してるが、即詠の才能は、伊勢大輔タン譲り、あるいは、大中臣家の血かな(^_^;)

さて、『後拾遺和歌集』の詞書では「後三条院御時」なのが、『俊頼髄脳』は「後冷泉天皇の御代」と
なってるし、シチュエーションも詳しくなった結果、歌の大意もチト異なったものになってるね(^_^;)
それはさておき、「伊勢大輔の孫にあたる越前」の本文の「孫」に付した頭注二は次の通り( ̄◇ ̄;)

    「子」の誤記か。また『後拾遺集』によると後三条院越前とあるが、伊勢大輔と
    高階成順との間には、三人の娘があったものと思われ、四条宮筑前(康資王母)・
    筑前乳母・源兼俊母の三人とも『後拾遺集』に入集している。この作者がだれに
    該当するか未詳。

藤本一恵・前掲『後拾遺和歌集(四)』、久保田淳&平田喜信(校注)『新日本古典文学大系8 後拾遺
和歌集』(岩波書店,1994)、久保田淳(監修)『新日本古典文学大系別巻 八代集総索引』(岩波
書店,1995)、どれも伊勢大輔タンの孫としてて「誤記」じゃねーだろヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

・中宮彰子が最終兵器の伊勢大輔タンに「アレを取れ!」と出撃命令キタ━━━━(゚д゚;)━━━━!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-01-10

・伊勢大輔タンの父である大中臣輔親も道長に促され即興で秀歌を詠んだという血は争えない話(⌒~⌒)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-03-03