スティック・カフェオレ1箱、同じスーパーでも山越えた街に近い店舗は322円なのに地元の町のは582円
で「お買い得」だとぉ∑( ̄ロ ̄|||)にゃんですと!? 田舎だから商品搬送に余計な費用がかかるという
ことかしら(ノ_-;)トホホ… んにゃ、きっと、ブルジョアが住む高級住宅地だからよオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
楽天お買い物マラソンのマラソンスロット、朝5時台でも連敗(ノ;ω;)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ナカナイデー!!
【読んだ本】
杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(三)』(講談社学術文庫,1982)所蔵本
読了(^^) 巻第三に該当し、「赦文」「足摺」「御産」「公卿揃」「大塔建立」「頼豪」「少将都帰」
「有王」「僧都死去」「飇」「医師問答」「無文」「燈炉之沙汰」「金渡」「法印問答」「大臣流罪」
「行隆之沙汰」「法皇被流」「城南之離宮」の章段(^^) 以下は読んで誰得メモゆえスルー推奨(^o^)丿
「少将都帰」の章段で、平康頼と藤原成経が配流先の鬼界が島から都へと戻る途中に、備前の児島で
同じく鹿ケ谷の一件で流され殺された成経の父・成親の墓を訪ねて、成経が墓に話しかける場面(;_;)
・・・/と、くりかえし訴えるように言って、泣かれた。まことに、御存命のときで
あったら、大納言入道[藤原成親]殿も、どうしたかと言われたにちがいないが、
生死の境をへだてていることほど悲しいことはない。苔の下では、だれが答えようか。
ただ、風[ママ]にさわぐ松の響きが聞えてくるばかりである。/・・・
この本書の〈現代語訳〉の最後の件の原文は次の通りも〈語釈〉が無いヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
苔の下には誰かこたふべき。ただ嵐にさわぐ松の響ばかりなり。
市古貞次(校注・訳)『新編日本古典文学全集45 平家物語①』(小学館,1994)も頭注を付さず(-"-)
梶原正昭&山下宏明(校注)『新日本古典文学大系44 平家物語 上』(岩波書店,1991)157頁の脚注21
は次の歌を踏まえているとする(@_@;)
「鳥辺山君たづぬとも朽ちはてて苔の下には答へざらまし」(千載集・雑中・大江公景)。
水原一(校注)『新潮日本古典集成 平家物語 上』(新潮社,1979)234頁の頭注3は異なる見解( ̄◇ ̄;)
「まれに来る夜半も悲しき松風をたえずや苔の下に聞くらむ」(『新古今集』哀傷、
藤原俊成)をふまえた表現。
この点について同書は更に234~235頁の頭注欄に「典拠詩歌と修辞」と題した〔補説〕を展開(@_@;)
「苔の下には、誰かはこととふべき」の辞句は、諸注で『千載集』雑に載る大江公景の
「鳥辺山君たづぬとも朽ちはてて苔の下には答へざらまし」によったものと解する。
しかしこの部分延慶本で「マレニ木ヲ(来テか)ミルモ悲キ松風ヲ苔ノ下ニヤタヘス
聞ラムと詠テ」とあるのを参照すれば、注に掲げた俊成歌をふまえたことが明らか
である。公景の歌は、詞書によれば実は病気全快の後に見舞の遅れた友人に答えた
逆接的な歌で、詠歌事情からいえば適切な典拠とはいえない。・・・
同じく「少将都帰」の章段から少将成経が都に戻った場面を本書の〈現代語訳〉で引く(´;ω;`)ウッ…
・・・/少将[成経]は、舅の平宰相教盛の邸へ入られた。少将の母上は、
洛東の霊山寺におられたが、昨日から宰相の邸に来られて、少将の帰りを
待っておられた。少将の入ってこられる姿を一目見て、/「命があったからこそ」/
とだけ言われたまま、感きわまって、衣を引きかぶり臥してしまわれた。・・・
この「命があったからこそ」の原文「命あれば」にも〈語釈〉が無いぞヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
市古貞次(校注・訳)『新編日本古典文学全集45 平家物語①』(小学館,1994)214頁の頭注6を引く(^^)
「源為善朝臣身まかりにける又の年、月をみて/いのちあれば今年の秋も月はみつ
別れし人にあふよなきかな」(新古今・哀傷 能因法師)。ここでは子の成経には
会えたが、もはや夫成親は故人となって会うことはない、の意をこめる。
水原一(校注)『新潮日本古典集成 平家物語 上』(新潮社,1979)238頁の頭注3は次の通り(⌒~⌒)
命あればこそ。二度と会えぬと思っていた成経に会うことができた。帰らぬ夫成経を
改めて悲しむ気持も示した言葉である。「命あればことしの秋も月は見つ別れし人に
逢ふ夜なきかな」(『新古今集』哀傷、能因法師)の転用。
梶原正昭&山下宏明(校注)『新日本古典文学大系44 平家物語 上』(岩波書店,1991)159頁脚注26(..)
「命あればことしの秋も月は見つ別れし人に逢ふ夜なきかな」(新古今集・哀傷・
能因)による。命があればこそ子の成経に再会できたの意。
ある事件の共犯者3人、有罪・実刑となって刑期も同じだったけど、2人は受刑態度が良く、刑務作業で
得る僅かなお金も被害者遺族に毎月送金し月命日には供養も欠かさなかったところ、数年後に仮釈放が
認められた由、ところが、残りの1人は作業で得たお金はエロ本購入に使うわ供養に誘われても断るわと
自堕落な受刑生活を送っていたにもかかわらず、2人が仮釈放と聞くと同一事件の共犯なんだから自分も
仮釈放しろと半狂乱になって暴れたという話なんだけど、悲劇と捉えるのが「普通」なのかねぇ(^_^;)
巻第二には康頼&成経から誘われたのに俊寛が拒否したことしか出てないからチト脚色したけど(^_^;)
巻第三で俊寛が赦免されなかったことを悲劇とする人が有名作家にもいたようだが、巻第二を読まずに
論じてるのかも(^_^;) 読まずに論じるわけがないって? 高浜虚子がそうだぜオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
・虚子は『平家物語』『千載和歌集』も読まずに語るバカチンヾ(`◇´)ノ 疑う者は岩波文庫を披け(-"-)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-02-19
・『平家物語』の巻第一の「吾身栄花」から、桜の花が散らないよう祈った桜町中納言の話(〃'∇'〃)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-04-06
・賀茂明神の託宣歌が紀貫之の歌を踏まえてるのに各注釈書は気付けよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-04-07
・「御輿振」で紹介されている源頼政の詠んだ歌、どこが「名歌」なのかを解き明かしてくれる本(^^)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-04-16
・僧を処罰する時には還俗させて「藤井」という俗名がつけられるのが慣例とか「座主流」に(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-04-17
・「徳大寺之沙汰」で実定が「月をながめて」「口ずさん」だ「詩歌」とは、もしかして(⌒~⌒)ニヤニヤ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-02-22
・杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(二)』の「卒都婆流」での平康頼の和歌の訳、ちょっとねぇ(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-07-11
・鬼界が島に残された俊寛が地団駄を踏む章段「足摺」、実は駄洒落が仕込まれていたヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-05-07
・杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(一)』(講談社学術文庫,1979)読了メモ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-04-14
・杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(二)』(講談社学術文庫,1979)読了メモC= (-。- ) フゥー
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-04-20
で「お買い得」だとぉ∑( ̄ロ ̄|||)にゃんですと!? 田舎だから商品搬送に余計な費用がかかるという
ことかしら(ノ_-;)トホホ… んにゃ、きっと、ブルジョアが住む高級住宅地だからよオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
楽天お買い物マラソンのマラソンスロット、朝5時台でも連敗(ノ;ω;)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ナカナイデー!!
【読んだ本】
杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(三)』(講談社学術文庫,1982)所蔵本
読了(^^) 巻第三に該当し、「赦文」「足摺」「御産」「公卿揃」「大塔建立」「頼豪」「少将都帰」
「有王」「僧都死去」「飇」「医師問答」「無文」「燈炉之沙汰」「金渡」「法印問答」「大臣流罪」
「行隆之沙汰」「法皇被流」「城南之離宮」の章段(^^) 以下は読んで誰得メモゆえスルー推奨(^o^)丿
「少将都帰」の章段で、平康頼と藤原成経が配流先の鬼界が島から都へと戻る途中に、備前の児島で
同じく鹿ケ谷の一件で流され殺された成経の父・成親の墓を訪ねて、成経が墓に話しかける場面(;_;)
・・・/と、くりかえし訴えるように言って、泣かれた。まことに、御存命のときで
あったら、大納言入道[藤原成親]殿も、どうしたかと言われたにちがいないが、
生死の境をへだてていることほど悲しいことはない。苔の下では、だれが答えようか。
ただ、風[ママ]にさわぐ松の響きが聞えてくるばかりである。/・・・
この本書の〈現代語訳〉の最後の件の原文は次の通りも〈語釈〉が無いヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
苔の下には誰かこたふべき。ただ嵐にさわぐ松の響ばかりなり。
市古貞次(校注・訳)『新編日本古典文学全集45 平家物語①』(小学館,1994)も頭注を付さず(-"-)
梶原正昭&山下宏明(校注)『新日本古典文学大系44 平家物語 上』(岩波書店,1991)157頁の脚注21
は次の歌を踏まえているとする(@_@;)
「鳥辺山君たづぬとも朽ちはてて苔の下には答へざらまし」(千載集・雑中・大江公景)。
水原一(校注)『新潮日本古典集成 平家物語 上』(新潮社,1979)234頁の頭注3は異なる見解( ̄◇ ̄;)
「まれに来る夜半も悲しき松風をたえずや苔の下に聞くらむ」(『新古今集』哀傷、
藤原俊成)をふまえた表現。
この点について同書は更に234~235頁の頭注欄に「典拠詩歌と修辞」と題した〔補説〕を展開(@_@;)
「苔の下には、誰かはこととふべき」の辞句は、諸注で『千載集』雑に載る大江公景の
「鳥辺山君たづぬとも朽ちはてて苔の下には答へざらまし」によったものと解する。
しかしこの部分延慶本で「マレニ木ヲ(来テか)ミルモ悲キ松風ヲ苔ノ下ニヤタヘス
聞ラムと詠テ」とあるのを参照すれば、注に掲げた俊成歌をふまえたことが明らか
である。公景の歌は、詞書によれば実は病気全快の後に見舞の遅れた友人に答えた
逆接的な歌で、詠歌事情からいえば適切な典拠とはいえない。・・・
同じく「少将都帰」の章段から少将成経が都に戻った場面を本書の〈現代語訳〉で引く(´;ω;`)ウッ…
・・・/少将[成経]は、舅の平宰相教盛の邸へ入られた。少将の母上は、
洛東の霊山寺におられたが、昨日から宰相の邸に来られて、少将の帰りを
待っておられた。少将の入ってこられる姿を一目見て、/「命があったからこそ」/
とだけ言われたまま、感きわまって、衣を引きかぶり臥してしまわれた。・・・
この「命があったからこそ」の原文「命あれば」にも〈語釈〉が無いぞヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
市古貞次(校注・訳)『新編日本古典文学全集45 平家物語①』(小学館,1994)214頁の頭注6を引く(^^)
「源為善朝臣身まかりにける又の年、月をみて/いのちあれば今年の秋も月はみつ
別れし人にあふよなきかな」(新古今・哀傷 能因法師)。ここでは子の成経には
会えたが、もはや夫成親は故人となって会うことはない、の意をこめる。
水原一(校注)『新潮日本古典集成 平家物語 上』(新潮社,1979)238頁の頭注3は次の通り(⌒~⌒)
命あればこそ。二度と会えぬと思っていた成経に会うことができた。帰らぬ夫成経を
改めて悲しむ気持も示した言葉である。「命あればことしの秋も月は見つ別れし人に
逢ふ夜なきかな」(『新古今集』哀傷、能因法師)の転用。
梶原正昭&山下宏明(校注)『新日本古典文学大系44 平家物語 上』(岩波書店,1991)159頁脚注26(..)
「命あればことしの秋も月は見つ別れし人に逢ふ夜なきかな」(新古今集・哀傷・
能因)による。命があればこそ子の成経に再会できたの意。
ある事件の共犯者3人、有罪・実刑となって刑期も同じだったけど、2人は受刑態度が良く、刑務作業で
得る僅かなお金も被害者遺族に毎月送金し月命日には供養も欠かさなかったところ、数年後に仮釈放が
認められた由、ところが、残りの1人は作業で得たお金はエロ本購入に使うわ供養に誘われても断るわと
自堕落な受刑生活を送っていたにもかかわらず、2人が仮釈放と聞くと同一事件の共犯なんだから自分も
仮釈放しろと半狂乱になって暴れたという話なんだけど、悲劇と捉えるのが「普通」なのかねぇ(^_^;)
巻第二には康頼&成経から誘われたのに俊寛が拒否したことしか出てないからチト脚色したけど(^_^;)
巻第三で俊寛が赦免されなかったことを悲劇とする人が有名作家にもいたようだが、巻第二を読まずに
論じてるのかも(^_^;) 読まずに論じるわけがないって? 高浜虚子がそうだぜオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
・虚子は『平家物語』『千載和歌集』も読まずに語るバカチンヾ(`◇´)ノ 疑う者は岩波文庫を披け(-"-)
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・『平家物語』の巻第一の「吾身栄花」から、桜の花が散らないよう祈った桜町中納言の話(〃'∇'〃)
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・賀茂明神の託宣歌が紀貫之の歌を踏まえてるのに各注釈書は気付けよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
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・「御輿振」で紹介されている源頼政の詠んだ歌、どこが「名歌」なのかを解き明かしてくれる本(^^)
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・僧を処罰する時には還俗させて「藤井」という俗名がつけられるのが慣例とか「座主流」に(@_@;)
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・「徳大寺之沙汰」で実定が「月をながめて」「口ずさん」だ「詩歌」とは、もしかして(⌒~⌒)ニヤニヤ
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・杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(二)』の「卒都婆流」での平康頼の和歌の訳、ちょっとねぇ(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-07-11
・鬼界が島に残された俊寛が地団駄を踏む章段「足摺」、実は駄洒落が仕込まれていたヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-05-07
・杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(一)』(講談社学術文庫,1979)読了メモ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-04-14
・杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(二)』(講談社学術文庫,1979)読了メモC= (-。- ) フゥー
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-04-20