長~い連休も明けてAmazonに出品してる古本屋も営業再開し配送業者も通常営業化したから注文しよう
としたら納税通知書が届いて一気に萎えたよ(ノ_-;)ハア… 何か出てこないか明日から庭を掘るp(・ω・*q)
福沢諭吉の子孫とかゆー女子アナを久しぶりに視かけた( ̄◇ ̄;) 節約でTVはもう視られないけど(+_+)

【読んだ本】

田辺昌子(解説)『謎解き浮世絵叢書 葛飾北斎 百人一首 姥がゑとき』(二玄社,2011)

表紙カヴァーには、葛飾北斎の《百人一首うばがゑとき》から貞信公の「小倉山峰のもみぢ葉心あらば
今ひとたびのみゆき待たなむ」の画が使われているので、その解説文(77頁)を取り上げる(@_@;)

    ・・・特に小倉山は紅葉の美しいことで知られていましたが、宇多法皇は、ぜひ息子に
    あたる醍醐天皇にこれを見せたいと思ったようです。その意向を受けた藤原忠平
    [貞信公]によるこの優雅な誘いの歌を、醍醐天皇も喜ばしく受け止めたことでしょう。/
    おそらく本図の中央に立つ若い貴人は、醍醐天皇であると思われます。・・・今まさに
    小倉山の山荘に到着したところらしく、少し離れたところに輿が見え、舎人たちは周りに
    座って控えています。/迎えるのは僧侶たちで、一人がうやうやしく頭を下げています。
    ・・・その姿はありませんが、建物の中では[宇多]法皇が醍醐天皇を心待ちにしている
    であろうと想像されます。・・・

この画は「中央に立つ若い貴人」=醍醐天皇の前で、まるで臣下の如く跪きながら「僧侶」の「一人が
うやうやしく頭を下げてい」るという構図がメインだけど、ピーター・モース(著)高階絵里加(訳)
『北斎 百人一首 うばがゑとき』(岩波書店,1996)72頁に至っては、「頭を下げている僧は今上天皇
[=醍醐天皇]に敬意を表する父、[宇多]法皇の姿かもしれない。」と妄想してたヒィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

目崎徳衛『王朝のみやび』(吉川弘文館歴史文化セレクション,2007)が、仁明天皇の嵯峨院&橘嘉智子
皇太后訪問に始まる、年頭に天皇が父母のもとに年賀に赴く行事=朝覲[ちょうきん]行幸を説明(^^)

    ・・・そもそも天皇は律令国家における最高の存在である。この特別な公的立場は、
    父母に対して「孝」という私的道徳を実践することと相容れない。そこで
    奈良時代の天皇は、父母と公式の交渉を持たない建て前であったようで、
    孝謙天皇は母光明皇太后に「人の子の理」のごとく仕えることができない苦痛を、
    譲位の理由にあげているほどである。ところがこのような公的原理は、平城・嵯峨・淳和
    三上皇が次々に出現するに及んで、崩壊しはじめた。つまり、在位の天皇と
    その兄または父の上皇との間に、勅書の往復や公式訪問がみられるようになり、しかも
    その際、天皇が上皇に対して「臣」と称して下風に立つに至ったのである。・・・

北斎の画で、立っている「若い貴人」=醍醐天皇の前で、まるで臣下の如く跪いて「うやうやしく頭を
下げてい」る「僧侶」が宇多法皇なら、父が子の「下風に立つ」ことになっちゃうだろ((;゚Д゚)ヒィィィ!

そもそも同歌は「亭子院[=宇多院]、大井河に御幸ありて、[醍醐天皇の]行幸もありぬべき所也と
仰せ給ふに、事の由奏せんと申て」(小町谷照彦[校注]『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』[岩波
書店,1990])と詞書にある如く宇多院が御幸した大井川から眺めた小倉山の紅葉の美しさを詠んでて、
ソレに誘われて実際に醍醐天皇も大井川へ行幸したわけで、「小倉山の山荘」じゃねーよヾ(`◇´)ノ
『百人一首』を姥が絵解きするという企画らしいが、北斎が画題の歌を読み解けてない画ばかり(^_^;)

・著者が外国人で訳者が有名美術史家の娘だから岩波も出したのではと邪推したくなるほどの愚書(-"-)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-04-24

・「新・北斎展」の「詩哥写真鏡 春道のつらき」、どこが秋の画なんだヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-03-13