好きだからいいんだけど、この勢いで勝手に増殖していかれると、いずれ庭一面がハナニラの花に(^_^;)
今日も20度超えたが、明日からの予報を視ると、このまま薄いセーターを卒業していいのか悩む(@_@;)

【読んだ本】

峯村文人(校注・訳)『新編日本古典文学全集 43 新古今和歌集』(小学館,1995)所蔵本
   
本書から、歌番号108の紀貫之の歌と、その口語訳&鑑賞・批評(萌えポイント)を先ずは引く(⌒~⌒)

    わが宿の ものなりながら 桜花 散るをばえこそ とどめざりけれ

     桜が自分の家のものでありながら、その桜の花の散るのは
     とどめることができないことだ。
 
      散る花を惜しむ人間感情にもとづきながら、自分の家のものでも
      自由にはならないことをおもしろがっている感が強いのは、
      知的風流心によるのである。

花全般に言える(^^) てゆーか、花に限らず「自分の家のものでも自由にはならないこと」は多そう^_^;

左大将のポストが空き、ソレを狙う者の中には後白河院の側近の藤原成親も(^_^;) 願いを叶えるべく、
さまざまな祈禱を始めたが、次のような出来事が( ̄◇ ̄;) 杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(一)』
(講談社学術文庫,1979)の「鹿谷」から現代語訳を引く(^^)

    ・・・毎夜、徒歩で中御門烏丸の邸から、こんどは上賀茂の社へ、七夜続けて参詣された。
    満願の七夜目を終って邸に帰り、疲れで打ち臥し、うとうとと眠られると、夢で、
    上賀茂神社に参詣しているらしく、御宝殿の御戸をおしひらき、神々しく気高い御声で、

      さくら花 賀茂の河風 うらむなよ 散るをばえこそ とどめざりけれ

      (桜花よ、賀茂の河風を恨むなよ、なんとしても花の散るのを
       とどめることはできないのだ)

    との、お告げがあった。・・・

んでもって、この歌について、杉本圭三郎・前掲書は、その〈語釈〉で次のように解説してる(´・_・`)
   
    成親の願がかなえられないことを、桜花の散るのをとどめることができないことに
    なぞらえた。

水原一(校注)『新潮日本古典集成 平家物語 上』(新潮社,1979)82~83頁の頭注一〇は次の通り(..)

    桜花よ、賀茂の川風を恨むな。賀茂の神威を以てしても花の散るのをとどめることは
    できぬのである。神力にも限りがあると言い、[成親による]非法の願を退ける託宣歌。

梶原正昭&山下宏明(校注)『新日本古典文学大系44 平家物語 上』(岩波書店,1991)44頁脚注六(..)

    桜の花よ、賀茂の川風を恨むでない。賀茂の神の力を以てしても花の散るのを
    止めることはできないのだ。「さくら花」に成親、「賀茂の河風」に賀茂明神を擬し、
    明神が成親の願をかなえられぬことを告げる託宣歌。

市古貞次(校注・訳)『新編日本古典文学全集45 平家物語①』(小学館,1994)68~69頁頭注一三(..)

    桜花に成親、賀茂の河風に賀茂神を擬す。せっかく祈ってくれても願いを
    かなえられないが、神を恨むな、の意をこめる。なお桜花に院および側近の勢力を擬し、
    その没落を散るといったとみることもできる。

賀茂明神より昨日の記事の桜町中納言が祈った天照大神の方が・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;そーじゃないだろ!
この託宣歌が紀貫之の歌を踏まえていることに各注釈書は先ず言及しろヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!