気温が20度を超え、暴風によって飛ばされて来てベランダに落ちて溜まったのを集めて桜吹雪ごっこ(^^)
今季初勝利(T_T) あかん!嬉しさのあまり買う予定のなかった本を次々と注文してもうた((;゚Д゚)ヒィィィ!
【読んだ本】
戸板康二『新々ちょっといい話』(文春文庫,1987)所蔵本
昭和四十六年十二月十二日、七十九歳で病没した桂文楽は、近年の落語界の名人で、
同じ演目を、いつもキチンと寸分たがわぬ呼吸[いき]と間[ま]で話すというのが
定評であった。/最後の高座は、八月三十一日、国立小劇場の落語研究会の「大仏餅」
だった。/その前の日も、東横寄席の円朝祭でおなじ噺をしているのだが、この日は
演じている最中に、セリフがどうしても思い出せずに、絶句してしまった。/
文楽は「申し訳ありません。もう一度勉強しなおしてまいります」といって、
深深と頭を下げると、舞台から退場した。/弟子の小勇が、泣きながら、いった。/
「師匠はこのところ、ズーッと、途中で噺ができなくなった時にあやまる口上を、
稽古していました。高座へ出る日は、ちゃんと朝のうちに、いつも、していたんです」
〈ちょっといい話〉どころじゃない( ̄◇ ̄;) 「もう一度勉強しなおしてまいります」と退場したのは
知ってたけど、その台詞も「稽古」してたとは、流石、桂文楽ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 名人ゆえの終活か(゚ロ゚;)
『新々ちょっといい話』から現時点で小生が選んだ「名言」と〈ちょっといい話〉は以下の三つ(⌒~⌒)
富崎春昇が、門弟富山清琴におびただしい数の曲を教えたが、いつもこういった。・・・
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-02-12
鷗外は腎臓病が死因になったのだが、病気が進んでいるのに、検尿をいやがって・・・
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-03-23
東海道線で、初代市川猿翁と偶然同乗した若いジャーナリストが、「どちらへ」と・・・
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-03-25
以下は『最後のちょっといい話 人物柱ごよみ』(文春文庫,1994)から選んだ〈ちょっといい話〉(^^)
水木洋子がNHKのテレビドラマ脚本賞を受けた時、好きな時計をえらべといわれ、・・・
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-10-13
・・・新派の大矢市次郎は、大正三年から六年まで陸軍の輜重隊に入隊していた。/・・・
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-10-24
東千代之介は、長唄の演奏家の子なので、三味線は達者である。ある時、三味線を持って・・・
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-11-25
西條八十の「かなりや」が碑になって上野の不忍池のほとりにある。これは大正十二年・・・
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-12-26
江戸家猫八は、むかし松竹映画のスターだった細川俊夫から競歩を教わって、毎日かなり・・・
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-01-02
倉本聰の北海道富良野でのシナリオ塾の若者が、廃坑になって人のもういない町にゆき、・・・
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-01-12
今季初勝利(T_T) あかん!嬉しさのあまり買う予定のなかった本を次々と注文してもうた((;゚Д゚)ヒィィィ!
【読んだ本】
戸板康二『新々ちょっといい話』(文春文庫,1987)所蔵本
昭和四十六年十二月十二日、七十九歳で病没した桂文楽は、近年の落語界の名人で、
同じ演目を、いつもキチンと寸分たがわぬ呼吸[いき]と間[ま]で話すというのが
定評であった。/最後の高座は、八月三十一日、国立小劇場の落語研究会の「大仏餅」
だった。/その前の日も、東横寄席の円朝祭でおなじ噺をしているのだが、この日は
演じている最中に、セリフがどうしても思い出せずに、絶句してしまった。/
文楽は「申し訳ありません。もう一度勉強しなおしてまいります」といって、
深深と頭を下げると、舞台から退場した。/弟子の小勇が、泣きながら、いった。/
「師匠はこのところ、ズーッと、途中で噺ができなくなった時にあやまる口上を、
稽古していました。高座へ出る日は、ちゃんと朝のうちに、いつも、していたんです」
〈ちょっといい話〉どころじゃない( ̄◇ ̄;) 「もう一度勉強しなおしてまいります」と退場したのは
知ってたけど、その台詞も「稽古」してたとは、流石、桂文楽ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 名人ゆえの終活か(゚ロ゚;)
『新々ちょっといい話』から現時点で小生が選んだ「名言」と〈ちょっといい話〉は以下の三つ(⌒~⌒)
富崎春昇が、門弟富山清琴におびただしい数の曲を教えたが、いつもこういった。・・・
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鷗外は腎臓病が死因になったのだが、病気が進んでいるのに、検尿をいやがって・・・
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東海道線で、初代市川猿翁と偶然同乗した若いジャーナリストが、「どちらへ」と・・・
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以下は『最後のちょっといい話 人物柱ごよみ』(文春文庫,1994)から選んだ〈ちょっといい話〉(^^)
水木洋子がNHKのテレビドラマ脚本賞を受けた時、好きな時計をえらべといわれ、・・・
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・・・新派の大矢市次郎は、大正三年から六年まで陸軍の輜重隊に入隊していた。/・・・
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東千代之介は、長唄の演奏家の子なので、三味線は達者である。ある時、三味線を持って・・・
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西條八十の「かなりや」が碑になって上野の不忍池のほとりにある。これは大正十二年・・・
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江戸家猫八は、むかし松竹映画のスターだった細川俊夫から競歩を教わって、毎日かなり・・・
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倉本聰の北海道富良野でのシナリオ塾の若者が、廃坑になって人のもういない町にゆき、・・・
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