鉄道会社のカレンダーを使ってて4月は桜と富士と特急の写真なんだけど、So-netブログで拝見させて
頂いた作品の方が素晴しかったなぁ(^_^;) そのブログ主、実はプロの写真家だったりしてね(@_@;)
読むのが日課の金田一春彦『ことばの歳時記』(新潮文庫,1973)、今日のは西行の「逸話」なるものが
出てて、アホかとまた思った(゚ロ゚;) 久保田淳&吉野朋美(校注)『西行全歌集』(岩波文庫,2013)で
当該歌が西行の作でないことを確認し、久保田淳(監修)『新日本古典文学大系 別巻 八代集総索引』
(岩波書店,1995)を引いて当該歌の元ネタが小町谷照彦(校注)『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』
(岩波書店,1990)に入っている読み人しらずの歌であることを突き止め、今日の記事にしようと考えて
一応「西行 タンポポ」で検索したら、wikiに「西行鼓ヶ滝」として出てたので、書くの止めた(^_^;)
「古典落語の演目の一つ」あるいは「伝承」の類いでしかなく、やっぱ「逸話」じゃねーじゃん(^_^;)

【買った本&読んだ本】

大久保純一『カラー版 北斎』(岩波新書,2012)

歩いて街のブックオフまで行ったのに探してる漫画は依然無く、本書を260円で購入し徒歩帰宅(´・_・`)

「新・北斎展」@森アーツセンターギャラリーで展示されていた作品「詩哥写真鏡 春道のつらき」が
おかしいことを指摘(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-03-13 )した際に、
同展の永田生慈(監修)『新・北斎展 HOKUSAI UPDATED[図録]』(日本経済新聞社ほか,2019)所収の
故・永田生慈による巻頭論文「北斎の画業と生涯」から、次の件を引いた(@_@;)

    その最後を飾る時期[=画狂老人卍期(最晩年)]の、僅かな浮世絵版画をまず瞥見
    してみよう。最晩年最大の刷物に「百人一首うばがえとき」(No.426~432)がある。
    このシリーズは、日本の古典の和歌集である百人一首を、乳母が絵をみせて子供に理解
    しやすく説くといった意味のタイトルで、当初は100図完結の予定であったが、何らかの
    事情で、27図の出版で中断した。北斎自身は相当の意気込みをもってのぞんだらしく、
    現在60図以上の版下絵(No.433、434)が遺されている。出版された各図は、為一時代の
    作品より全体に色調の強いものとなっている。

この件に対しても「色々と言いたいことあるけどね(^_^;)」とコメを付したが、本書に次の評(⌒~⌒)

    《百人一首うばがゑとき》はその題名が示すとおり一〇〇図の制作を企図していた
    のであろうが、現在確認される完成図は二七図にとどまっている。他に校合摺一図と
    版下絵を含めると少なくとも九一図が用意されていたことが知られており、北斎としては
    相当大きな意欲を持ってこの揃物に着手したのではないかと考えられている。・・・/
    二七図で刊行が中断してしまったのは売れ行きが芳しくなかったからであろう。「百人一首
    を乳母が絵解きする」と謳う題名にもかかわらず、和歌の意味と絵の内容との関連を読み解く
    ことが難しいものが散見され、それが不評の一因だったと考えられている。その一方で、
    和歌が詠む情景とごく表面的なところのみで結びつくものも多く、鈴木春信の見立絵などに
    比べると読み解きという点での面白さも乏しい。・・・
 
ホントその通りで、《百人一首うばがゑとき》ではないけど、「詩哥写真鏡 春道のつらき」に至っては
「和歌の意味と絵の内容との関連」があるように観えず、紅葉の赤を摺り忘れたんじゃないかと(^_^;)

    しかしながら、絵そのものの出来栄えはさすが北斎であり、未完結ながら彼の最晩年を飾る
    錦絵揃物といっても過言ではない。和歌が詠む四季の景物をストレートに描き出したものが
    多いだけに、季節感も豊かであり、濃い藍や緑を多用する配色により、深く沈潜するような
    雰囲気が画面を支配している図も多い。

斯くも《百人一首うばがゑとき》を高評していて、異論じゃないけど、それだけでは意味不明あるいは
変なのに見た感じがクールだからと漢字一文字をタトゥーにしてる外国人と同じ美的センスかと(^_^;)