月が代わって、お買い物よ!オホホホホ( ^^)/~~~~~ ピシッ!とコスプレでもしたいとこなんだけどね(´・_・`)
年度末も近くなると新年度の学会費や定期購読誌の代金その他で何かと出費が多そうだからね(´ヘ`;)
お役所は予算を使い切るために椀飯振る舞いの年度末なのに(-ω-、) 狙ってた本の「良い」が最安値で
出品されたんだけど1756円は高いなぁ~と逡巡してたら、もう買われちゃった∑( ̄ロ ̄|||)にゃんと!?
小生と同じ趣味(センス)を持つ人間が存在したとは((;゚Д゚)ヒィィィ!お友達になりたいなぁ(〃'∇'〃)
【読んだ本】
目崎徳衛『王朝のみやび』(吉川弘文館歴史文化セレクション,2007)所蔵本
本書所収の1975年初出の「和歌勅撰の歴史的背景──三代集をめぐって」が興味深い論旨なので引く(^^)
・・・平安時代に対する久しい間の常識は、四百年間にわたるひどくのっぺらぼうな
律令体制崩壊過程であるということであった。いわく、大化の改新に出発し
天武・持統朝にほぼ完成したこの体制は、奈良時代に入るや早くも矛盾を露呈し、
平安初期における体制再建の努力も効なく、その根幹をなす班田収授制も十世紀
初頭には停止され、以後地方行政はほとんど空白化し、貴族は都でいたずらに
奢侈にふけり、治安の乱れは武士の勃興をうながし、ついに平安末期にいたって
武家政権の下に屈服するに至った。──以上のようなアウトラインが、戦前・戦後を
通じてあまり大差なく続いていたように思われる。そして『源氏物語』のような
すぐれた作品がこうした緩慢で退屈な下降過程でなぜ出現したかは、いささか説明に
苦しむことであったが、『万葉集』のあのすばらしい調べなどに比べるべくもない
三代集[古今集・後撰集・拾遺集]の「くだらなさ」に至っては、こうした趨勢の
当然の反映といったふうにみられていたといえよう。/しかし近年、中世史研究者
による国衙領・荘園の収取体系の分析と、古代史研究者による貴族政治機構の解明とが
あいまって、十世紀より十一世紀にかけての国制がしだいに輪郭を明かにしはじめると、
それは単なる律令国家の衰退現象として消極的にとらえるべきものでなく、もとより
律令国家より封建国家への過渡期には違いないけれども、そのいずれとも異なる
独自の体制が創出・維持されていたことが認識されるようになった。坂本賞三氏等の
提唱する「王朝国家論」はその代表的な成果というべきものである。/・・・/
この新しい政治体制は、律令国家の中央集権方式に比べてむろん消極的ではあるが、
流動的な地方情勢・社会構造に柔軟に対応した現実主義であったといえるであろう。
王朝貴族社会の繁栄といわゆる国風文化の発達は、この新体制確立によって生まれた
精神的・物質的余裕の表現であって、決して衰退の一路をたどる律令体制の中に咲いた
仇花といったものではない。/ところで、明治以来の『古今集』に対する否定的評価も、
近年ようやくにして是正されつつあるように見える(「古今的なものについて」参照)。
子規の『古今集』否定の武断は『万葉』的尺度をただちに『古今』以下の歌風に適用
しようとしたところにあった。これは律令主義のみを尺度として平安時代をその衰退現象
としてとらえた旧来の歴史観とよく似ている。つまり両者ともに、平安中期に創始された
独特なものを正確に把握しようとしていないのである。・・・
ということは、「律令主義のみを尺度として平安時代をその衰退現象としてとらえた旧来の歴史観」に
立脚している研究者は、万葉集を持ち上げて「[紀]貫之は下手な歌よみにて、古今集はくだらぬ集」
と貶す正岡子規の万葉集マンセー和歌史観を受容・支持(一体化)しやすいということになるね(^_^;)
古今調に対する否定的言辞を繰り返して古今和歌集の歌で評価できるのは万葉風のだけとする北山茂夫
『日本の歴史4 平安京』(中公文庫,1973)を一昨日に取り上げた(´・_・`) 万葉集に関する著作も多く、
左寄りだから「王朝貴族」より「読人しらず」の歌を好むのだろうと考えて、北山茂夫は個人的見解、
すなわち「自説」を「一般向けの概説書」で展開するという過ちを犯したものと当初は思った(@_@;)
ところが、同書の原著(単行本)は1965年の刊行で、上述の「王朝国家論」を「提唱」した坂本賞三の
『日本王朝国家体制論』が出版されたのは1972年だった( ̄◇ ̄;) 『日本の歴史4 平安京』の単行本が
出る以前に坂本賞三が論文や学会発表で「王朝国家論」を「提唱」してた可能性はあるも、北山茂夫は
「旧来の歴史観」=当時の「通説」に基づいて「一般向けの概説書」を執筆してたのかも( ̄□ ̄;)
午前中にポツポツ降ったけど午後は快晴(^_^;) 夜から降り出したけど雪になって積もるのかな(@_@;)
年度末も近くなると新年度の学会費や定期購読誌の代金その他で何かと出費が多そうだからね(´ヘ`;)
お役所は予算を使い切るために椀飯振る舞いの年度末なのに(-ω-、) 狙ってた本の「良い」が最安値で
出品されたんだけど1756円は高いなぁ~と逡巡してたら、もう買われちゃった∑( ̄ロ ̄|||)にゃんと!?
小生と同じ趣味(センス)を持つ人間が存在したとは((;゚Д゚)ヒィィィ!お友達になりたいなぁ(〃'∇'〃)
【読んだ本】
目崎徳衛『王朝のみやび』(吉川弘文館歴史文化セレクション,2007)所蔵本
本書所収の1975年初出の「和歌勅撰の歴史的背景──三代集をめぐって」が興味深い論旨なので引く(^^)
・・・平安時代に対する久しい間の常識は、四百年間にわたるひどくのっぺらぼうな
律令体制崩壊過程であるということであった。いわく、大化の改新に出発し
天武・持統朝にほぼ完成したこの体制は、奈良時代に入るや早くも矛盾を露呈し、
平安初期における体制再建の努力も効なく、その根幹をなす班田収授制も十世紀
初頭には停止され、以後地方行政はほとんど空白化し、貴族は都でいたずらに
奢侈にふけり、治安の乱れは武士の勃興をうながし、ついに平安末期にいたって
武家政権の下に屈服するに至った。──以上のようなアウトラインが、戦前・戦後を
通じてあまり大差なく続いていたように思われる。そして『源氏物語』のような
すぐれた作品がこうした緩慢で退屈な下降過程でなぜ出現したかは、いささか説明に
苦しむことであったが、『万葉集』のあのすばらしい調べなどに比べるべくもない
三代集[古今集・後撰集・拾遺集]の「くだらなさ」に至っては、こうした趨勢の
当然の反映といったふうにみられていたといえよう。/しかし近年、中世史研究者
による国衙領・荘園の収取体系の分析と、古代史研究者による貴族政治機構の解明とが
あいまって、十世紀より十一世紀にかけての国制がしだいに輪郭を明かにしはじめると、
それは単なる律令国家の衰退現象として消極的にとらえるべきものでなく、もとより
律令国家より封建国家への過渡期には違いないけれども、そのいずれとも異なる
独自の体制が創出・維持されていたことが認識されるようになった。坂本賞三氏等の
提唱する「王朝国家論」はその代表的な成果というべきものである。/・・・/
この新しい政治体制は、律令国家の中央集権方式に比べてむろん消極的ではあるが、
流動的な地方情勢・社会構造に柔軟に対応した現実主義であったといえるであろう。
王朝貴族社会の繁栄といわゆる国風文化の発達は、この新体制確立によって生まれた
精神的・物質的余裕の表現であって、決して衰退の一路をたどる律令体制の中に咲いた
仇花といったものではない。/ところで、明治以来の『古今集』に対する否定的評価も、
近年ようやくにして是正されつつあるように見える(「古今的なものについて」参照)。
子規の『古今集』否定の武断は『万葉』的尺度をただちに『古今』以下の歌風に適用
しようとしたところにあった。これは律令主義のみを尺度として平安時代をその衰退現象
としてとらえた旧来の歴史観とよく似ている。つまり両者ともに、平安中期に創始された
独特なものを正確に把握しようとしていないのである。・・・
ということは、「律令主義のみを尺度として平安時代をその衰退現象としてとらえた旧来の歴史観」に
立脚している研究者は、万葉集を持ち上げて「[紀]貫之は下手な歌よみにて、古今集はくだらぬ集」
と貶す正岡子規の万葉集マンセー和歌史観を受容・支持(一体化)しやすいということになるね(^_^;)
古今調に対する否定的言辞を繰り返して古今和歌集の歌で評価できるのは万葉風のだけとする北山茂夫
『日本の歴史4 平安京』(中公文庫,1973)を一昨日に取り上げた(´・_・`) 万葉集に関する著作も多く、
左寄りだから「王朝貴族」より「読人しらず」の歌を好むのだろうと考えて、北山茂夫は個人的見解、
すなわち「自説」を「一般向けの概説書」で展開するという過ちを犯したものと当初は思った(@_@;)
ところが、同書の原著(単行本)は1965年の刊行で、上述の「王朝国家論」を「提唱」した坂本賞三の
『日本王朝国家体制論』が出版されたのは1972年だった( ̄◇ ̄;) 『日本の歴史4 平安京』の単行本が
出る以前に坂本賞三が論文や学会発表で「王朝国家論」を「提唱」してた可能性はあるも、北山茂夫は
「旧来の歴史観」=当時の「通説」に基づいて「一般向けの概説書」を執筆してたのかも( ̄□ ̄;)
午前中にポツポツ降ったけど午後は快晴(^_^;) 夜から降り出したけど雪になって積もるのかな(@_@;)