今年も年賀状を一枚書き損じたけど(去年と同じ人)、ハズレが判明してから交換はセコイかな(^_^;)
早速5円で(年賀ハガキは選択せず)62円切手に交換してもらった(^_^;) キュキュットのつめかえ用が、
約2回分は203円なのに約4回分のジャンボサイズは267円だったので後者を選んだけど怪しい(@_@;)

【読んだ本】

戸板康二『最後のちょっといい話 人物柱ごよみ』(文春文庫,1994)所蔵本

    昭和三十八年に歿した文藝評論家の十返肇は、十返千鶴子の夫であった。
    私も親しい友人だったが、晩年にわかに野球を見はじめ、巨人のファンで、
    王を見かけて声をかけたら、自分の顔を知っていたと喜んでいた。/
    テレビで解説をするのを見ていたら、大きなファウルの時、「三振前のぱか当り」
    といったり、内野ゴロが続いたら「外野が風邪をひく」といったり、小学生みたいで、
    おかしかった。/スポーツ紙に或る作家がテレビの中継を見て観戦記を書くのを読んで、
    「現場にゆかずに書くなんて、能因法師じゃあるまいし」といった。

この「能因法師じゃあるまいし」、1984~1993年の文藝春秋誌の読者層には通じたのかヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
数年前の小生だったら、全くのイミフだったけど(ノ_-;)トホホ… レヴェルが高かったんだねぇ( ̄◇ ̄;)

色んなのに載ってるけど、浅見和彦(校注・訳)『新編 日本古典文学全集51 十訓抄』(小学館,1997)
から現代語訳を引いておく(^_^;)

    ・・・また能因は限りなく風雅を愛する人でもあった。/

     [都をば 霞とともに たちしかど 秋風ぞ吹く 白川の関]

      都を春霞とともに発ってきたが、陸奥の白河の関では、もう秋風が吹いている

    という歌を詠んだところ、都にいたままでこれを披露したら何ともったいないと思い、
    誰にも知られず、長い間、姿を隠して日にあたり、日焼けで色を黒くしてから、
    「奥州の方へ修行しておりました時に詠んだ歌です」と、人々に見せたともいわれている。
    
「現場にゆかずに」詠んだと疑われたのは、能因のキャラ(数寄者、てゆーか、変人)に由るところが
大だろうけど、久保田淳&平田喜信(校注)『新 日本古典文学大系8 後拾遺和歌集』(岩波書店,1994)
の同歌の脚注には次の指摘もある(^_^;)

    道のりの遠さを歌う。ただ春から秋への旅程は長すぎることから、袋草紙・雑談では
    下向の事実を疑い、以後、十訓抄などの説話類では下向そのものを虚構とする逸話を
    載せる。

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