「巻を置く能わず」と何十年も思い込んでたよ、恥ずかしいことに(-ω-、)ヾ( ̄o ̄;)マジで恥じてる?

【読んだ本】

橘健二&加藤静子(校注・訳)『新編 日本古典文学全集34 大鏡』(小学館,1996)

「太政大臣基経 昭宣公」の章を読んでいたら、藤原基経の葬送に際して詠まれたという僧都勝延の歌
(古今和歌集の歌番号831)と上野峯雄の歌(古今和歌集の歌番号832)が紹介(71頁)されてたよ(^^)

さて、以下、「・・・和歌が出てきたら読み飛ばすことをオススメします!」オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

「ながめつるけふは昔になりぬとも軒端の梅はわれを忘るな」という式子内親王の新古今和歌集の歌
(歌番号52)について、石田吉貞『新古今和歌集全註解』(有精堂出版,1960)の「譯」は、次の通り
(ちなみに、『 』内は歌の大意ね)(⌒~⌒)

    『こうやって、つくず[ママ]くと物思いをしながらお前をながめた今日は昔と
    なってしまい、私は死んでしまっても、軒端の梅よ、お前だけは私を忘れてくれるなよ』
    ただ私を忘れないでくれという意。後世の人に思い出させてくれとかいうのではない。
    この内親王一流のしみじみとした歌である。病中で、發熱しきりなる中に詠んだ百首。
    翌年一月に薨じていることを思うとき、また家長日記に薨去の年の春、大炊殿の梅が
    心地よげに咲いていたというのを見るにつけ、いかにも哀である。正治二年院初度百首
    のうち。

言及されている「家長日記」、石田吉貞と佐津川修二による『源家長日記全註解』有精堂は未見だが、
久保田淳『新古今和歌集全注釈 一』(角川学芸出版,2011)の同歌の「鑑賞」欄に同日記の当該記事が
引用されているので、孫引きさせてもらう(^_^;)

    斎院うせさせ給[たまひ]にしまへのとし、百首の哥たてまつらせ給へりしに、
    「のきばの梅もわれをわするな」と侍しか。大炊殿[おほひどの]の梅の、
    つぎのとしの春、こゝちよげにさきたりしに、「ことしばかりは」と
    ひとりごたれ侍し。

この「ことしばかりは」という源家長の独り言の意味を、久保田淳は全く説明してくれてないんだけど、
百目鬼恭三郎『新古今和歌集一夕話』(新潮社,1982)は次のように解説してくれているv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    「今年ばかりは」とは、藤原基経の死を悼んで、上野岑雄が詠んだ「深草の野辺の桜し
    心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」(「墨染め」は喪服の色。『古今集』所収)を
    意味しており、今年はこの梅も墨染めに咲いて内親王の死を悼んでほしかった
    という意をあらわしている。

この「ことしばかりは」の話は「161223読んだ本」に書いてて、久保田・前掲書に対する不満を述べて
たんだけど(だって16200円もしたんだよ!)、久保田淳(監修)『新 日本古典文学大系 別巻 八代集
総索引』(岩波書店,1995)の「各句索引」を見ると、「ことしばかりは」は古今集から新古今集までの
8つの勅撰集で、この上野峯雄の歌でしか使われてないから、知ってて当然、知らぬは恥なのかも(^_^;)
 
蒼国来が幕下優勝を決めて来年初場所の再十両が確実の由\(^o^)/ 竜電も応援するから頑張れ(^o^)丿