大学生らしき男3人が工事現場の騒音・振動の大きさを表示してる機器の前で大声を出して、その様子を
撮っているのを目撃したけど、ネット上にでもアップしてるのかしら(´・_・`) 若者の特権だとはいえ、
こーゆー手合いは一生バカをしそう((;゚Д゚)ヒィィィ! 幕内で今場所応援してるのは、栃ノ心だけ(´・_・`)

【読んだ本】

紀田順一郎『にっぽん快人物烈伝』(旺文社文庫,1985)所蔵本

「政治家・実業家・軍人」13人目は「くろうとにモテた軍人」として山本五十六だが、紹介されてる
逸話がどれもつまらなかった(-ω-、) 仕方がないので、秦郁彦「山本五十六~昭和海軍の大スター」
同『昭和史の軍人たち』(文春文庫,1987)所収、野村實『山本五十六再考』(中公文庫,1996)等を
読み直したり、吉田俊雄『四人の連合艦隊司令長官』(文春文庫,1984)まで拾い読みしたよ(´・_・`)
半藤一利&保阪正康『昭和の名将と愚将』(文春新書,2008)の「第七章 今村均と山本五十六」から
山本五十六が昭和18年に撃墜されて亡くなったことに関連した逸話を結局メモることにした(^_^;)

    半藤 ・・・国民にも山本が四月十八日に死んだことは、翌五月二十一日まで
       伏せられた。なんで私が日付までよく覚えているのかというと、五月
       二十一日は私の誕生日で、この日、国技館に大相撲を見に行ってたから
       なんですよ(笑)。それで、大相撲の途中で、相撲取りも観客も検査役も
       行司も『海ゆかば』の演奏にあわせてみんなで黙禱した。その日、実に
       珍しい取組があって、龍王山と青葉山が、土俵上で取っ組んだまま
       まったく動かなくなって二番後の取り直しになった。ところが、
       その取り直しも同じようになって、結局引き分けになる。そうしたら、
       その一番が、「山本大将が死んだ日に、闘志が足りない相撲を見せた」と、
       大問題になって、二人とも翌日から出場停止になったんです。/

    保阪 それが昭和十八年五月二十一日の話なんですか?

    半藤 そうなんです。夏場所の十日目でした。その出場停止を聞いて怒ったのが
       当時の力士会会長だった双葉山。われわれが動かないといって、力を抜いている
       なんてことはない。いつも本気でやっているのに、そこを疑われたら
       相撲が成り立たないと、相撲協会に抗議した。それで、十三日目に、
       二人とも出場停止が解けて、もう一番やることになった。このときは
       勝負がついて青葉山の勝ち(笑)。

舌足らずな返信コメを夜中に書き直したからチョー寝不足だし、予報より早く昼頃から降り出した(+_+)