モモイロヒルザキツキミソウの鉢が満開だけど、庭の色んなところでも一輪ずつ咲いてるよ(〃'∇'〃)
これは風のお蔭かしら(⌒~⌒) でも、今日もまたメチャ強風で街へ出掛けるのは断念したぞ(ノ_-;)ハア…
ところで、「女郎花」、コレを読めるようになったのが、ここ数年なのはナイショだよ(〃'∇'〃)テヘペロ

【読んだ本】

正宗敦夫『金葉和歌集講義』(自治日報社,1968)所蔵本

    芦垣の 外[ほか]とは見れど 藤の花 にほひはわれを へだてざりけり

金葉集の春歌に入ってる「隣家ノ藤ノ花といへることをよめる」と詞書のある内大臣家越後の歌だけど、
本書には次のように解説されている(なお、引用歌の口語訳を補ったけど、奥村恆哉[校注]『新潮
日本古典集成 古今和歌集』[新潮社,1978]の頭注に拠った)(^^)

    一首の意は、垣は我を隔ててゐて外[そと]に藤の花は咲いてゐるが、其の匂ひは
    垣が有つても我を隔てはせず匂つて来るといふのである。藤の花の匂ひは今日の
    我々にはあまり感じられないが。昔の人は今人が香が無いと思ふ花にもよく匂ひを
    詠んでゐる。桜なぞは多く香[ママ]ひを詠んでゐる。もとより匂ひも有るが、
    古今集「春雨に匂へる色もあかなくに香[か]さへなつかし山吹の花」[春雨に
    洗われて映える色だけでも、尽きぬ趣をもつというのに、さらにその香りにまで
    心ひかれる、山吹の花だ。]とよみ、「女郎花ふき過ぎてくる秋風は目には見えねど
    香こそしるけれ」[女郎花を吹きすぎてくる秋風は、目には見えないけれど、香りが
    高いので、すぐにそれとわかる。]など詠んでゐる。かゝる花にも随分香が有る様に
    詠んでゐる。古人は今の人より鼻の感じがするどかつたのかも知れない。

そうなのかな( ̄◇ ̄;) となると、現代人は嗅覚が退化したということなのかしらん(@_@;)

昨夜TVでやってた映画を最後まで視ちゃったため、午後の読書タイムで10分ほど記憶が無い(-ω-、)