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【買った本&読んだ本】

小松登美(全訳注)『和泉式部日記(下)』(講談社学術文庫,1985)

ポイント60円分使い246円「良い」(´・_・`) 上巻を200円、中巻を108円で購入してたからね(-ω-、)
近藤みゆき(訳注)『和泉式部日記 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫,2003)を持ってたしさ(..)
同書巻末の「参考資料(研究文献目録抄)」には本書も挙がってるけど、同書の「補注において引用
した注釈書の略称は以下の通りである。」に入ってないから、もしかして価値ないのかしら(@_@;)

とまれ、近藤みゆきの同書巻末の「解説」の「七 作者とその人生」の次の一節が気になったぞ(@_@)

    長保元~二年にかけて[橘道貞との]夫婦仲は急速に冷めていったようであるが、
    その一方で、歌人としての和泉がまとまった事跡を残す最初の時期がこの長保期
    であった。長保三年(一〇〇一)、「権中納言斉信家屏風」に和歌を召され、また
    同四年には播磨国書写山円教寺に性空上人に結縁を求めて歌を献じているが、その
    時の一首が生涯の代表歌ともなる「冥きより」であった。

この「冥きより」とは、拾遺和歌集に入っている次の歌(歌番号1342)なんだけどね(´・_・`)

    冥[くら]きより 冥き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端[は]の月

小町谷照彦(校注)『新 日本古典文学大系7 拾遺和歌集』(岩波書店,1990)の訳を引くと、

    私は、煩悩の闇から闇へと、無明の世界に迷い込んでしまいそうだ。遥か彼方まで
    照らしてほしい、山の端にかかる真如の月よ。

となっていて、この「山の端の月」が性空上人を指していることは言うまでもないよね(⌒~⌒)

小生が気になったのは、この歌を和泉式部の「生涯の代表歌」と同書が評している点なのさ(@_@)

勿論、当時この歌を「代表歌」と見做す人々が結構いたらしいことは小生も知ってる(^_^;) 藤岡忠美
(校注)『新 日本古典文学大系 29 袋草紙』(岩波書店,1995)にも載る有名な逸話だけど、源俊頼
の歌論書『俊頼髄脳』から引くと(橋本不美男&有吉保&藤平春男[校注・訳]『新編日本古典文学
全集87 歌論集』[小学館,2002]所収の橋本文美男訳)、

    [藤原]公任卿に、その子[藤原]定頼が、「和泉式部と赤染衛門と、歌人としては
    どちらが勝れておりますか」と、質問なさったところ、公任卿は「一口で優劣を云々
    できる歌人ではない。和泉式部は『ひまこそなけれあしの八重ぶき』という秀歌を
    詠んでいる人である。非常に特別な歌人である。」という返事であったので、定頼は
    不思議だと思って、「和泉式部の歌の中では『暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに
    照らせ山の端の月』という歌が、非常によい歌だと、世間の人は言うようですよ」と、
    申し上げたところ、公任卿は、「その世評、なんと人は十分知りもしないことを言う
    ものだ。・・・

全て紹介するのもね(^_^;) とまれ、藤原公任と言えば、当時の歌壇の第一人者だぜ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
「生涯の代表歌」だなんて「十分知りもしないことを言うものだ。」ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!!

なお、『ひまこそなけれあしの八重ぶき』とは、後拾遺和歌集に入っている歌番号691の「津の国や
こやとも人を いふべきに ひまこそなけれ あしのやへぶき」のこと(^_^;) また当時の「世評」は、
たしかに藤原定頼の言う通りかもしれなくて、注文した本が届いたら、改めて確認するつもり(^_^;)
清水文雄(校注)『和泉式部集・和泉式部続集』(岩波文庫,1983)にも両歌は載ってるけど、秀歌か
どうかといった評価の話は出てなかった(-ω-、) 本書の「解題」にも目を通したけど、同様(´・_・`)

久しぶりにロデム(勝手に命名)に遭遇してたっぷり愛でたから、みどりん、にっこにっこにー(⌒~⌒)