桜の画像を載せたブログが減ってきて寂しい(-ω-、) でも、庭のモクレン(シモクレン)が咲いた(^^)
前(161009読んだ本)にも目撃したけど、ウチの前をリード無しで猫を散歩させてる人がいた( ̄◇ ̄;)

【読んだ本】

松村明&三省堂編修所編『大辞林』(三省堂,1988第一版第一刷)所蔵本

「三夕の歌」と言われている和歌がある(^^) 新古今和歌集の入集歌で、次の三首のことなんだけど、
久保田淳(校注)『新潮日本古典集成 新古今和歌集』(新潮社,1979)上巻の現代語訳も引くよ(^^)

    寂蓮(歌番号361)

     「さびしさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮」

       さびしさはとり立ててその色ということもできないなあ。けれども
       どことなくさびしさが漂うよ、檜や杉の群立つ山の秋の夕暮は。           

    西行(歌番号362)

     「心なき 身にもあはれは しられけり しぎ立つ沢の 秋の夕暮」

       もののあわれを解しないわたしのような身にも、この趣には
       しみじみと心うたれるなあ。鴫が飛び立つ沢の夕暮時の・・・・・・・。

    藤原定家(歌番号363)

     「見わたせば 花も紅葉も なかりけり 浦のとま屋の 秋の夕暮」

       見わたすと、春の花はもとより、秋にふさわしい紅葉すら
       何ひとつないよ。苫葺きの海人の仮小屋が散らばるこの浦の秋の夕暮は。

ちょっと気になるところがあり、本書で「さんせきのわか【三夕の和歌】」を引いたら、次のように
説明されていた(@_@) 小生のは第一版第一刷だけど、ネットで見る限り、「第三版」も同じ(@_@;)

    新古今和歌集の中の、「秋の夕暮」という結びの優れた三首の和歌。定家の
    「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮」、寂蓮の「さびしさは
    その色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮」、西行の「心なき身にもあはれは
    知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮」の三首。三夕。

揚げ足を取るようだけど、この説明文はおかしいね C= (-。- ) フゥー だってさ、上記の3首以外にも、
新古今集には結びが「秋の夕暮」のあるもん(-"-) 勅撰集に選ばれたぐらいなんだから、それなりに
「優れた」歌のはずであり、「優れ」てないと決めつけんじゃねーよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!!

新古今集の秋歌に入っている上記3首以外の結びが「秋の夕暮」の歌を、久保田・前掲書から挙げると、

    式子内親王(歌番号321)

     「ながむれば 衣手すずし ひさかたの 天の川原の 秋の夕暮」

       秋の夕暮、天の川原をじっと見つめると、わたしの袖のあたりも
       涼しく感じられます。

    読人しらず(歌番号347)

     「小倉山 ふもとの野べの 花すすき ほのかにみゆる 秋の夕暮」

       小倉山の麓の野辺に花すすきの穂がほの白く揺らいで見える
       秋の夕暮れよ。

    藤原良経(歌番号357)

     「おしなべて 思ひしことの かずかずに なほ色まさる 秋の夕暮」

       今までにさまざま思い悩んできたことの数々よりも
       さらに悲しみの色がまさる秋の夕暮よ。

    藤原良経(歌番号359)

     「もの思はで かかる露やは 袖におく ながめてけりな 秋の夕暮」

       物思いをしないで、このような露(涙)が袖に置くということが
       あるだろうか。わたしはやはり悲しい思いに沈みながら
       じっと見つめていたのだな、この秋の夕暮の景を。

    藤原雅経(歌番号364)

     「たへてやは 思ひありとも いかがせむ むぐらの宿の 秋の夕暮」

       思いが深ければむぐらの生い茂った家にも寝ようと古人は歌ったけれど、
       いくらそうであっても堪えていられようか。さびしい秋の夕暮、
       この荒れた家にいることは。

    源通親(歌番号443)

     「われならぬ 人もあはれや まさるらむ 鹿鳴く山の 秋の夕暮」 
      
       わたし以外の人もしみじみとした思いがまさるであろうか。
       このように山で牡鹿が鳴く声を聞く秋の夕暮は。

    寂蓮(歌番号491)

     「村雨の 露もまだひぬ 真木の葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮」

       村雨の露もしっとりとしてまだ乾かない真木の葉から、
       うっすらと霧が立ち昇っている秋の夕暮時。

ちなみに、最後の寂蓮のは百人一首にも選ばれているけど、「優れ」てないことになっちゃうね(^_^;)
 
なお、深沢眞二&深沢了子編『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 秋冬編』(三弥井古典文庫,2016)には、

    ・・・『新古今和歌集』で、秋上の巻には「秋の夕暮」を詠んだ歌ばかり
    十首も並べられている。

と記されてるけど、「秋上の巻には八首、秋下の巻には二首の・・・が計十首も並べられている」が
正しいヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!! 例によって、重箱の隅を楊枝でほじくる指摘だけどさ(^_^;)

未更新で広告が出るようになった別ブログも例によってランク上昇し普段は80位ぐらいが27位に(@_@;)