ユニクロで先日購入のダウンジャケットで街歩いててフト顔を上げたら目の前に同じの着てる人(゚ロ゚;)
周囲の人にお笑いネタを提供するのも癪なので走って離れた(+_+) 街外れの郵便局へ行き、年始の文、
干支の犬の2つのスタンプをチョイスして独りせっせと無地の年賀状に捺してきた(´・_・`) プリンタが
壊れてて青しか印字されないし(今年プリンタ貰ったけど、書斎が片付かないので箱に入ったまま)、
年賀状なんかのために面白い文章とか考えるのは勿体無いから、近年このパターンで済ませてる(..)
ブックオフ年明けセールに備えて値段メモってたら、ずっと血眼になって探してネットに出るや否や
速攻で購入した文春文庫『ゴールド・コースト』上下巻が、各360円、しかも美品で出てるじゃん(T_T)

【買った本&読んだ本】

村松剛『死の日本文學史』(中公文庫,1994)

村松剛のことは前に書いた(^^) 本書のことも知ってたが、特に興味があるテーマではないのでスルー
してたけど、手に取って目次を見たら、「夢のうき橋」という章が目に入った(゚o゚;) 目次には、更に
細目次のようなものがあって、同章には「藤原俊成女―後拾遺の時代―千載集と夢の自立性―俊成女と
中世のかげ」とあるから、絶対買うわな(^_^;) 年明けセールに備えてメモっておこうと値段を見たら、
260円∑( ̄ロ ̄|||)なんですと!? 新品のような美品で、571頁もある分厚いのがだよ((;゚Д゚)ヒィィィ!
値を付け間違えてるよ、と傍に居た店員に知らせることもなく、速攻でレジに走ったよ(^_^;) 帰り道、
歩きながら同章をざっと読んじゃった^_^; 流石、村松剛だけあって、興味深い叙述が多いんだけどさ、
例えば、勅撰和歌集について、

  後拾遺以前の後撰、拾遺は、文字どおり『古今和歌集』の落穂拾いの感が深い。
  ・・・その後拾遺まで、古今集から辿って來てまず感じるのは、簡単にいえば「しかし」という
  理念の出現だろう。

    うきままに厭ひし身こそ惜しまるれ/あれば見ける秋の夜の月(藤原隆成)

    [つらいという思いにまかせて、(生きていることを)厭うたわが身ではあったが、
     今はそのわが身こそいとおしく思われてくることよ。生きておればこそ(この
     美しい)秋の夜の月を見たのだったよ。]

    しらつゆもゆめもこの世もまぼろしも/たとへていはばひさしかりけり(和泉式部)

    [(はかないもののたとえの)白露も夢もこの世も幻も、恋のはかなさになぞらえて
     いうと、これらだって久しいものですよ。]
    
    あふことのたゞひたぶるの夢ならば/おなじまくらに又もねなまし(權僧正靜圓)

    [こののち逢うことが、ただもういっこうに夢であるならば、契った夜と同じ枕に
     ふたたび寝たものだろうかなあ。]

  斜線の部分に「しかし」の文字を補えば、論理は貫徹する。人生は夢幻というが、「しかし」
  生きているからこそ「秋の夜の月」を眺められるのであり、まぼろしといっても「しかし」
  要するに「ひさし」きものである。逢瀬が夢であっても「しかし」同じ枕にもう一度夢をくり
  かえしたい。人生無常を前提としたこういう逆説の論理は、古今集の時代にはなかった。

といった感じで、興味深い(^^) なお、上記引用の各歌の歌意は藤本一恵(全訳注)『後拾遺和歌集』
(講談社学術文庫,1983)の二巻と三巻から[ ]内に補い、また「僧」という字は原文は正漢字(^^)

29日は一割引ではなく一割引券らしいから、年明けの2割引まで待つべきか真剣に悩む(..)