ネコが十二支に入っていれば年賀状にウチの自慢のネコちゃんの写真が使えるのにぃ~と歯痒い思いを
している人は多いんじゃないかしら(^_^;) 年賀状を貰う方としても子供の写真より小生は嬉しいな^_^;

【読んだ本】

杉本苑子『「更級日記」を旅しよう 古典を歩く5』(講談社文庫,1998)所蔵本

「残り四十年間の彼女[=菅原孝標女]の人生」を紹介する本書の後半=「心をたどる」、そして、
三角洋一による「物語への憧憬」と題された巻末の「更級日記=解説」を読んで、本書も読了(^^)v
杉本苑子は同『対談 にっぽん女性史』(中公文庫,2008改版)でも菅原孝標女を取り上げてたけど、
同書の「五十歳のとき、夫の橘俊通が信濃の国司になったので、夫と一緒に赴任した。」という発言
が間違ってることは既に確認済だけど(本書では夫の出立を見送ったように書かれている)、同書の
「・・・四十近くなって、というから当時として晩婚ね。」や「・・・四十歳初婚・・・」なども、
本書が「三十三歳だった・・・」と記してるように、誤りだった(+_+) このミスは同書の対談内容を
考えると、小さくない瑕疵かも(..) なお、堀辰雄「曠野」同『かげろふの日記・曠野』(角川文庫,
1951初版→1976改版10版)所収もまた、孝標娘の結婚時期を源資通とのロマンス(?)の後にしたり、
夫に同行したように描くなど、原典を改変していることは前に記した通り(^^) さて、本書の後半でも
「軽いお勉強」(「ミニお勉強」とも)があって色々学べたし、孝標女が石山寺や長谷寺へお籠りに
行った記述を踏まえ(「古典を歩く」という企画趣旨もあってか)杉本苑子自身の両寺訪問記もまた
興味深い(^^) 杉本苑子「石山寺―菅原孝標の娘―」同『女人古寺巡礼』(講談社文庫,1996)所収を
読んだ際にも言及したが、孝標女が景観に無関心なことは本書でも強調(^_^;) また長谷寺の礼堂は
源氏物語の玉蔓の巻の舞台らしいのだが、〈・・・あれほど『源氏物語』に傾倒した「孝標女」が、
やはりこの玉蔓の巻にも言及していないのです。初瀬へくる途中、宇治の渡しで舟待ちしていたとき、
/「ああここは、宇治十帖にゆかりの地。浮舟君が住んでおられたあたりだわ」/と『源氏物語』を
思い出しているだけですが、よほど彼女、浮舟が好きだったようですね。〉と、不思議ちゃんか^_^;
杉本苑子による月旦評とは異なり、三角洋一は「・・・孝標女はすぐれた物語作家であったらしいの
である。・・・[藤原定家によると彼女の作とされる「夜半の寝覚」「御津の浜松」は]夜の寝覚、
浜松中納言物語として現存しており、古くから源氏物語、狭衣物語に次ぐ傑作という世評の高かった
物語である。」(゚o゚;) これを三角洋一は「・・・更級日記の執筆動機・・・」に関わるとし、曰く、
更級「日記の筋道としては、物語と歌ばかりに熱中して、信心をおろそかにしたため、不幸な晩年を
迎えるにいたった我が人生をたどりなおしてみることにあった、とおさえておけばよいであろう。
ただし、熱烈な物語の読者[←「孝標女は、彼女を高名な物語作家として仰ぎ見、物語に熱中する
近親縁者の子女たちを最初の読者と考えて、・・・」とも推測する]に向けて、物語に耽溺することを
戒め、人なみに信心に励むよう勧めるねらいから、青春時代に見た神仏の夢の中でのさとしをことさら
軽んじたように語り、また晩年の不幸の原因を物語への熱中、すなわち信心の不徹底にのみ帰して説明
していることは、注意を要すると思う。」と(゚o゚;) 虚像だとしても、孝標女に萌え萌えキュ~ン(^^)

明日は街はずれの郵便局まで歩いて年賀状にスタンプ捺してくる^_^; 今年も用意されてるよーにm(__)m