「また、つまらぬ物を読んでしまったorz」風に今年発売の話題の本を取り上げてやるよ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

お時間のある方は、次の文章をお読み頂きたい(^^)

  十月の中旬、新田義貞は、恒良・尊良を奉じて叡山から北陸へのがれようとするが、このとき
  かれは、近江からかれの目ざす越前敦賀へ通ずる七里半越(古代の愛発関)がすでに斯波軍に
  ふさがれたと聞いて、はるか東北方を迂回して木芽峠を越えた。新田軍はここで例年にない
  寒気に加えて、猛吹雪にあい、凍死者・脱落者続出の惨苦をなめて、ようやく敦賀に着いた。/
  これは『太平記』の記述であって、陰暦十月の下旬、わずか六百メートル余の木芽峠での凍死
  には、虚構の疑いがありそうだが、気候七百年周期説を唱える人文地理学者、西岡秀雄氏は
  『寒暖の歴史』の中でこの点について、つぎのような興味深い研究を発表している。長野県木曽
  御料林のヒノキの年輪成長曲線の示すところによれば、延元元年(一三三六)は前後の十数年に
  比してももっともヒノキの成長の悪かった年である。したがって『太平記』の記事は支持できる
  というのである。

内容も語り口も歴史研究の面白さが存分に伝わってくる歴史叙述だよね(^^) では、次の文章は如何?

  そもそも南北朝時代自体が、恒常的に異常気象が発生する時代だったらしい。古くから
  知られているところでは、建武三年(一三三六)は異常に寒冷な年であった。『太平記』には、
  同年一〇月中旬に比叡山から北陸へ逃れた新田義貞が越前国木ノ芽峠を越えたとき、季節外れの
  猛吹雪に遭って多数の凍死者を出したことが描写されている。この年が非常に寒かったことは、
  長野県木曽地方のヒノキの年輪成長曲線の調査からも裏づけられる。

先の引用文を読んでなければ、へぇ~へぇ~と感心しながら読めたのかもしれないけど、正直な話、
炭酸の抜けたコーラのようにしか感じないのは小生だけかしら(^_^;) 後の方の文章は絶賛発売中の
亀田俊和『観応の擾乱~室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』(中公新書,2017)で、
佐藤進一『日本の歴史9 南北朝の動乱』(中公文庫,1974)から、最初の方の文章は引用した(^^)

「随分と古い本ばかりのようですが」と評されちゃった拙ブログでも何度か取り上げてきた、
佐藤進一の『南北朝の動乱』、その単行本の刊行は1965年で、もう半世紀前なんだよ(゚o゚;)
でも、今年発売の亀田俊和の『観応の擾乱』と比べて、どちらの叙述が魅力的かしら(^_^;)

佐藤進一の『南北朝の動乱』は、2005年に改版が出て、巻末に新たに付された「解説」で、
森茂暁が次のように書いてるよ(^^)

  私も、これまでにこの本を何度繰り返し読んだかわからない。だいたい本というものは
  何十年か経つと古臭くなり読むに耐えなくなるものだが、佐藤氏のこの本に限っていうと、
  それが全くない。

拙ブログで何度か取り上げた『南北朝の動乱』は「全く」「古臭くな」いと専門家も太鼓判(^^)v

読売新聞の2015年11月8日の朝刊でも、やはり専門家の清水克行が「マイベスト日本中世史」として、

  南北朝時代史では、いまだこれを超える本は現れていない。

と佐藤進一の『南北朝の動乱』を絶賛してたよ(^^)

亀田俊和『観応の擾乱』も佐藤進一『南北朝の動乱』が示した観応の擾乱の構図を批判する一方で、

  ・・・戦後の南北朝史研究の金字塔となり、現代も同分野の必読文献となっている
  佐藤進一『南北朝の動乱』(一九六五年)・・・

としてるのに、この「必読文献」すら読まずに『観応の擾乱』を絶賛してるレヴューの多いこと^_^;

「必読文献」と言えば、亀田俊和は『観応の擾乱』の「あとがき」で

  ・・・観応の擾乱に関しては、やはり本書が今後の必読文献になることができればと考えている。

と書くけど、先の両引用文を読み比べると、「必読文献」となりうるだけの叙述力が無いかな^_^;

さて、もう一度、両者を読み比べてほしい(^^) 両引用文には重要な違いがあるのに気付いたかな^_^;

佐藤進一の『南北朝の動乱』は、

  ・・・西岡秀雄氏は『寒暖の歴史』の中で・・・つぎのような興味深い研究を発表している。

と自らが拠り所とした先行研究の研究者名と文献名をきちんと明記し、興味深い「研究」と表現(^^)

ところが、亀田俊和の『観応の擾乱』は、

  この年が非常に寒かったことは、長野県木曽地方のヒノキの年輪成長曲線の調査からも
  裏づけられる。

西岡秀雄の名前も著作も全く出てないけど、それは、実はこの本文(引用箇所)だけでなく、
『観応の擾乱』巻末の「主要参考文献」にも、西岡秀雄の著作は挙げられていないぞ(゚ロ゚;)エェッ!?
西岡秀雄の「研究」や著作を知らず、また佐藤進一の『南北朝の動乱』を読んでない人たちは、
この「長野県木曽地方のヒノキの年輪成長曲線の調査」をしたのは亀田俊和だと誤解しそうな
書き方になってて、亀田俊和は他人の研究業績・成果をパクっていると批判されかねんぞ(-"-)

細かいことのようだが、亀田俊和は西岡秀雄の「研究」を「調査」と軽視した表現を用いてて、
その何様な上から目線も『観応の擾乱』の各所で見受けられる先行研究を軽視する姿勢の現れ(-"-)
ちなみに、拙ブログの「170826読んだ本」で『観応の擾乱』について、

  先学や先行研究の扱いが酷くて、特に、ある先学の著作を誤読してるらしく、誤った引用に
  よって、その著作に対する印象操作を行ない、不当に貶めるレッテル貼りをしている件・・・

と書いたのは、上記の箇所ではないからね^_^; つまり、ココだけじゃないということ(-"-)

亀田俊和は「本書が今後の必読文献になることができれば」と「あとがき」で願望してたけど、
他人の先行研究を粗略に扱いながら自分のは「必読」の先行研究として尊重しろとは厚顔^_^;

公平を期すと、「170817読んだ本」で亀田俊和の『南朝の真実~忠臣という幻想』(吉川弘文館
歴史文化ライブラリー,2014)を取り上げた際に「・・・亀田俊和は良心的な研究者なんだなぁと
メチャ好感(^^)」と書いているし、「170826読んだ本」では「色々と教わる点があり、しかも、
従来の定説を次々と否定し覆す野心作だった(^^)」と『観応の擾乱』を評価もしてるからね(^^)

ただ、『南朝の真実』に関しては「170816読んだ本」と「170817読んだ本」で疑問点を書いたけど、
「170826読んだ本」でも指摘したように『観応の擾乱』にも通じていて、いずれ後日書く予定(^^)

新刊本を好意的に紹介してるブログに気を遣って「古い本ばかり」取り上げ(批判して)るのかも^_^;