「ブログタイトル」だけじゃなく「ブログURL」も、皆さん、面白いね(^。^;) よく思い付くなぁ^_^;

【読んだ本】

和歌森太郎考証・解説&カゴ直利作画『学習漫画日本の歴史1 国づくりの英雄』(集英社,1967)所蔵本

百人一首「わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり」(喜撰法師)の「宇治山」の
「宇」は「憂」であり、宇治は「世を憂」しと思う人の住む所と平安初期には言われてたわけだが、
その「源流」についての井上宗雄『百人一首~王朝和歌から中世和歌へ 古典ルネッサンス』(笠間
書院,2004)の説が面白い(^^) 曰く〈・・・有名な菟道稚郎子[うじのわきいらつこ]という皇子が、
自分の弟を即位させようとして(仁徳天皇ですね)、結局この宇治で自殺してしまったという、
そういう有名な話があるわけです。その話も人々の意識の底にあって、更に[万葉集の]人麿の歌
[もののふのやそうぢ川のあじろ木にいさよふ波のゆくへ知らずも]が圧倒的に有名であったので、
宇治というのは、無常の地である、憂鬱な土地であるという、このイメージが「ヨヲウヂヤマ」の
「ウ」(憂)と関係があるのかなあというふうにちょっと思っているのですが、どうでしょうか。〉
と(^^) 子供の頃に読んだ本書を思い出し、その「第六話 仁徳天皇」を読み直した^_^; 菟道稚郎子
の上記の話も漫画化されてたのは当然だけど、「大王[おおきみ]ときさきは、朝ばん、見はらし台
にたって、人びとのくらしをみつめました。」という説明の後、この第六話を締め括るラスト3コマの
「源流」が判ったよ(゚o゚;) 台詞だけ書き抜くと、第107コマでは、大王[仁徳天皇]「とおく菟道野
[うじの]の方から鹿のなき声が・・・・・・」、きさき[ヤタノヒメ]「母をしたう子どものなき
声のような・・・・・・」、第108コマでは、大王「わたしにはあの声がわたしを大王にするために」、
第109コマでは、大王「わかくしてしんだウジノミコの声のようにおもえる」となっている(;_;) 先ず
「大王ときさきは、・・・ばん、見はらし台にたって」「鹿のなき声」を聴くとの設定は、仁徳紀の
「菟餓野[とがの]の鹿」の話を基にしてるが、「鹿のなき声」が摂津国菟餓野ではなく山城国宇治
から聴こえると変えたのは、百人一首の喜撰法師の上記歌の「宇治山」に〈鹿ぞ住む〉という解釈を
根拠とし、この「宇治山」を「宇治で自殺し」た菟道稚郎子へと結び付けたものと考えられる(゚o゚;)
いわゆる〈学習漫画 日本の歴史〉シリーズの元祖だけど、他の巻を例に史実と異なる間違いを指摘し
酷評してる人もいるが、上記3コマも創作だけど、そのクリエイティヴさにむしろ座布団あげたい^_^;

また30度近くまで上がった中、昼前から夕方まで歩き廻ってマジ死んだ(+_+) 途中ネコと戯れた^_^;