空家同然ゆえに茫茫となってしまった草を刈りに本家・実家へ行かねばならぬ分家の悲哀(ノ_-;)ハア…

【Мアラート】

約20分後にブログ「また、つまらぬ物を読んでしまったorz」を更新しますが、無視してプリーズ(^^)
更新を怠ると表示される広告が何故か増殖してるため緊急避難的にリンクを追記するだけだから^_^;

【読んだ本】

杉本苑子『歴史を語る手紙たち』(文春文庫,1998)所蔵本

目崎徳衛『百人一首の作者たち』(角川ソフィア文庫,2005)で先日取り上げた古今集の前太政大臣
(藤原良房)の歌番号52「年ふれば よはひは老いぬ しかはあれど 花をし見れば 物思ひもなし」が
枕草子にも出てくることに気付いたが、もっと大部の古今集注釈書だったら、載ってるのかしら(..)
本書「第二章 泰平の中の文人たち」の「大田蜀山人」読了(^^) 取り上げてる手紙は2通で、大坂の
銅座詰めとなり、「・・・大坂到着後、江戸の家族にあてて出した幾便かのうちの一通・・・」と、
「・・・長崎から息子の定吉にあてて、文化元年の冬、十月、したためた書状・・・」だったよ(^^)
「世相や体制の堕落をえぐったり、批判したりすることに、蜀山人の意欲は旺盛にはうごかなかった。
体制は、彼にとって絶対な存在だったし、世相は滋味つきない興趣の対象であった。一歩退った批判者
の冷静よりも、世相に同化し調和して、愚者とも俗物とも一つ盃で酔う中に、無限のよろこびを見出し
ていた風流人なのである。」(^^) もし戦時下とかだったら、非難を浴びそうだなぁ^_^; 「たまたま
長崎奉行所に勤務し、ロシア艦隊の偉容を目にする機会に遭遇したにもかかわらず[「ロシアの使節
レザノフと握手」!]、彼はこの重大な事実を、たんなる〝奇事〟としか認識しなかったのである。」
と実際〆てるし^_^; 「悲惨な私生活」ゆえ「留守宅の状況が、だから常に不安だった。」からね(..)
とまれ、〈・・・役人としての大田直次郎は廉直の士で、出入り商人からの贈物などもほとんど突き
返してしまい、/「融通のきかん堅物や」/と、けむたがるほどの潔白ぶりであった。〉のに、手紙
の中の一文に注意を促し、「私信を公用の定期便に託して送っているのである。」と指摘し解説(゚o゚;)

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