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170512読んだ本

ハナイカダが今年も咲いた(^^) 一葉だけ採ってテーブルの上に置いといたら萎んじゃったけど^_^;

【読んだ本】

樋口芳麻呂&後藤重郎校注『定家八代抄―続王朝秀歌選―(上)』(岩波文庫,1996)所蔵本

毎日のように数首ずつ本書を読んでるけど、本書から漏れた歌を手元の古今集等各注釈書でチェック
する時間の方が実は長い^_^;各注釈書を読んでて、何でコレが選ばれなかったのかしら、と不思議に
思った歌が、本書を読み進めていくと出てきたりもする(゚o゚;) 各八代集内の配列を無視して、その
順序を入れ替えて収録した歌もあるのね(@_@) ある歌の脚注に〈「初子[はつね]」は正月の初めの
子[ね]の日。野に出て小松を引き庭に植えて千代を祝う行事。〉とあり、チト引っ掛かった(@_@)
千載集入集歌ゆえ久保田淳校注『千載和歌集』(岩波文庫,1986)を見ると、その歌の詞書の「子日」
の脚注に「正月初めの子の日、野に出て小松を根引きし、若菜を摘む年中行事」とあり、これもまた
舌足らず(小生の大辞林の第一刷には「言葉足らず」は見当らないね)な感を禁じ得ない(..) 勿論、
ともに文字数の制限された脚注だから仕方ないね(..) では、片桐洋一『歌枕 歌ことば辞典 増訂版』
(笠間書院,1999)ならどうかと言うと、「ねのひ【子日】」の項は〈「ねのび」とも言ったようで
ある。和歌でよまれる場合は正月の子の日、特に初子の日をいうことが圧倒的に多かった。この日、
人々は野に出て小松を引き抜き不老長寿を寿いだ。・・・[以下、例証として2首紹介している]〉と
しかなくて、期待しただけにがっかりだよ(+_+) 〈実は、正月七日に若菜を摘むのは人日[じんじつ]
と言い、正月の最初の子の日に小松を引き若菜を食するのは子の日の遊びと言い分けて、ふたつの別種
の行事のように区別されている。・・・さすがに時代によって、この二種の行事のどちらかに重点が
おかれていて、同じ比重でふたつを繰り返すことはしていないが、子の日の遊びのほうは、野べの小松
を引くことに行事の中心が感じられている。「子の日」が「根延び」に通じてめでたいのだというよう
に解されているが、この小松は新芽を食べたもののようである。菅原道真の詩に、/菜羹[さいこう]に
和して口に啜る。(『菅家文草』)/という句がある。松の新芽を若菜のあつものに加えてすすって
食べる、と言うのであるが、小松は、その芽を食べることが第一の目的であったとは思われない。小松
は根付きのまま取って[ママ]来ることが大切で、それをさらに植えたりするのである。・・・
おそらく、子の日の小松は食用にするしないにかかわらず、それを採って来て、小松にこもる精気を
人間のからだに感染させれば、それで目的が達せられたのであろう。小松にしても、若菜にしても、
その生[お]い先の長い、生命力に富んだ若さがめでたいものとされる理由であった。そういう植物や
動物の持つ精気を摂取することが人間の健康と生命を維持する手段である、と昔の人々は考えていた。
年中行事の中にいくつか共通して、そういう目的を持っているものがある。〉(゚o゚;) この全てを解き
明かしてくれる文章は、言うまでもなく、西村亨『王朝びとの四季』(講談社学術文庫,1979)(^^)v

午前中は図書館&ブックオフを廻り、午後も歩き回ったから、流石に疲れたびょん(+_+)
タグ:古典 和歌
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