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160923読んだ本

こんな日は「C1000 ちょっと濃いめの優しいレモン」が飲みたい(..) 飲みたい(..) 飲みたい(..)

【読んだ本】

杉本苑子『影の系譜~豊臣家崩壊』(文春文庫,1984)所蔵本

活字が小さくぎっしり詰まっている上に480頁もあるから、今なら上・下の2巻に分けて出ただろうし、
寝床でのんびり10日ぐらいかけて読む予定が、一気に読了してしまい、読書計画が狂ってしまった^_^;
ストーリーテラーぶりを発揮する著者の短篇作品とはチト違い、聚楽第の完成から大坂城の落城までの
〈豊臣家崩壊〉の歴史を歴史小説の王道を行くようにじっくりと描いているので実に読み応えがあって、
著者の長篇作品(数作品しか読んでないけど^_^;)の中で小生的にはベスト(^^)v 豊臣家に流れている
「狂気の血」が本書のモチーフとなってて、「家系に潜む狂気の血」が木下弥右衛門から秀吉へと流れ、
更に、秀吉の姉・とも(日秀)の胎を通して、秀次(殺生関白)、秀勝(秀吉の養子)、秀保(秀吉の
異父弟・秀長の養子)の3兄弟が享け継いでいるという「狂人の血すじ」(@_@;) 秀吉の悪行や事績
を「狂気の血」に帰責し解釈してて面白い^_^; 聚楽第の番衆詰め所に政権批判の落首の紙が貼られる
と「番所の壁に貼ってあった以上、そこに詰める者全員の咎だ」として、「当日の番に当っていた番衆
ことごとくを捕えさせた。七条河原に曳き出しての処刑は、しかも残酷をきわめていた。うしろ手に
くくりつけておいてまず、第一日目には十七名すべての鼻を削ぎ、二日目に耳を切り、三日目には目を
刳り抜き、四日目に至っては逆さ磔にかけるという言語に絶したものだったのである。」(+_+) また、
「建築をはじめ様々な土木事業に見せる異常性癖―――。そしてそれは、新しい熱中の対象が現れると、
加虐の快感をむさぼりでもするかのように前に手がけた対象を壊ち棄てるところに、いよいよ不可解な
むら気の特色を露呈した。/〝普請狂い〟と呼んで世人は秀吉の、修築と破却のくり返しに首をかしげ
合った。」といった「晴れたと思えば曇り、曇ったと思えば晴れる」秀吉の気性・気色も、たしかに
「むら気や移り気とだけでは片づけきれない危険な徴候」とも思えてくるから、「加虐を快感とする」
「狂気の血」の故かと納得させたくなる(+_+) なお、一方で本書は「脳病」や「脳の病変」と表現し、
例えば「奇矯な振舞いのすべては脳病ゆえ」としてるけど、こちらの方が得心できるかな^_^; だって、
「秀頼が死に、とも自身がみまかれば、木下弥右衛門を根として広がりかけた呪わしい狂気の系譜にも、
終止符が打たれる。」とラスト近くにあるけど、「権位にいて驕らず不相応な野心を抱かず、だれにも
つつましくへりくだって、けっして表立とうとせずに生きてきた」主人公格のともが説明できないから(^^)
それにしても〈秀吉などは、まして遠慮のなさをまる出しに、面と向かってさえ、/「姉者の子では
あるけれど、どうも三人の伜ども、三人ながら出来がよいとは世辞にも言えぬなあ」/こきおろした
ことが一再ならずあった。〉とあるけど、秀次の残虐さ(「殺生関白」と呼ばれてたのは知ってたが、
それが「摂政関白」の捩りだったとは、恥ずかしながら本書で知った^_^;)や秀勝の自我肥大よりも、
秀保が大馬鹿野郎すぎて読んでて腹が立つ(-"-) また残酷なシーンが多いから、本書は読んでて気分が
滅入ってくる嫌いもあったけれど、ラストも近くなって登場する東福寺の僧・玄隆西堂(「隆西堂」と
呼ばれてる)が一服の清涼剤(;_;) そのお蔭もあってか、秀次もその最期は良かった(;_;) その後で、
謎の男が登場して、誰? 途中で消えたヤツいたっけか? あるいは出て来なかった歴史上の人物か?と
頭をフル回転させたけど思い付かず、ともによる推理を読んで、あぁ~!と最後の最後になって著者の
小説巧者ぶりを改めて見せつけられたわ^_^; 単行本のと同一っぼい「あとがき」も興味深い内容(^^)
この作品は「歴史と旅」誌に「北政所お寧々」と題して連載していたのを単行本化の際に改題したのは、
「たまたま今春からNHKで『おんな太閤記』というテレビドラマがはじまったため、実際のスタート
はこちらのほうが早かったにしろ、便乗のように受け取られるのが嫌だったことと、それに何よりは、
お寧々を書くつもりがいつのまにやら路線変更をきたし、とも中心の作品になってしまったことに由る。」
とあって、著者は気っ風がいいよね(^^) ところが、そこから一騒動(@_@;) 秀吉の異父妹・旭姫は
「前半生はほとんどわかっていない」そうで、「少女時代、娘時代の名も、将来、新史料でも発見され
ないかぎり、今のところ不明と断じるほかない。/でも小説の場合、名無しでは書き進められないので、
私は彼女にきいと名をつけ、村のお百姓と夫婦にさせ、男を仮りに嘉助と名づけた。」由(^^) つまり、
秀吉ファミリーに関し「・・・実の名の中に、虚の名を一つと、虚の人物を一名混ぜた・・・」わけだが、
「・・・困ったことに『おんな太閤記』のスタッフたちがこれを実名と思いこみ、ドラマの中で使って
しまった。」(@_@;) しかも、日本放送出版協会は『ドラマストーリーおんな太閤記』なる本を出し、
27万部も売り尽くしたとか^_^; 「ご存知の通り、大河ドラマの作り出すフィーバーは、数かぎりない
あやかり現象を生む」として、これらの架空の名前が独り歩きし、何十年か後に定着してしまうことを
恐れた著者は、面識のある『おんな太閤記』作者の橋田寿賀子に話をすると、チーフプロデューサーが
「まったくこれは、NHK側のミスで、橋田氏には関係ございません」と釈明・謝罪してきたという^_^;
また著作権を侵害したので著者に対して誠意を示したいと日本文芸著作権保護同盟にNHKが相談した
ことまで著者の耳に入ってきたが、著者としては「史実でない名が、史実として定着しかねない危険を、
当事者一致して防がねばならぬ」という一点のみで、NHKから一銭一厘受け取る気もなければ、また
謝ってもらう必要もないと、ここでも気っ風の良さを示してる(^^) NHK側も著者の気持ちを虚心に
受け止め、話し合いの結果、「きい、嘉助の名はフィクションである」旨を、チーフプロデューサーは
毎日新聞夕刊の文化欄に書き、著者は単行本の「あとがき」にそれぞれ書くことなどを合意した由(^^)
〈NHKにおける橋田寿賀子の優越的地位〉やNHKの「ひとの小説から、歴史上の人物名を流用する
などといういささか安易すぎた取材態度」が判ったのも面白いけど、「歴史の虚実を洗い出し、骨格を
できるだけ事実で組み立てた上で、なお埋め切れない空白部分にのみ虚を充填してゆくのを、歴史小説
を書く上での基本姿勢と、日ごろ私は考えてきた。」という著者の信条が明らかになって興味深い(^^)

池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫,1984)所蔵本

伊藤整ほか編集『日本現代文學全集 86 石坂洋次郎・石川達三集』(講談社,1980増補改訂版)

試しに引っ越してみたけれど、いずれ新着記事一覧&ランキングに表示されない設定にしてみるかも(..)
タグ:小説 歴史
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