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240302読んだ本【バカチン3冊】

このランキングが何を意味するのか、よく考えられた方が宜しいかと〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本(バカチン3冊)】

石田吉貞『百人一首評解』(有精堂出版,1956)所蔵本
久曾神昇&樋口芳麻呂(校訂)『新勅撰和歌集』(岩波文庫,1961)所蔵本
池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫,1984)所蔵本

購入後に披くことも無かった森本元子『私家集全釈叢書13 殷富門院大輔集全釈』(風間書房,1993)
を最近になって取り上げているのは悲し~い訳があるからだが、この殷富門院大輔という女流歌人、
歌人としての評価は高いようだ(ノ_-;)ホッ…

    式子内親王の同腹の姉が、殷富門院である。それに仕えた女房。[藤原]定家は
    この人を尊重したらしく、[定家が独撰した勅撰和歌集の]新勅撰集の女流では
    この人の歌が一番多い。

池田弥三郎が殷富門院大輔の歌の「作者」の項に斯く記してて、駄本屑本ゆえ仕方ないと思ったら、
「百人一首注釈書中の白眉」(島津忠夫)とのピア・レヴュー(同僚評価)もある『百人一首評解』
で石田吉貞までが次のように記していたとは(ノ_-;)トホホ…

    ・・・定家とは特に親しかったことが『明月記』に見え、定家はその歌を愛でてか、
    『新勅撰集』には大輔の歌を、女子の歌の最高(十五首)にとっている。・・・

『新勅撰和歌集』に「十五首」入集で「女子の歌の最高」というのが間違いであることは、石田吉貞
自身が本書の相模のところで次のように記していることからも判る(^_^;)

    ・・・小倉百人一首の撰者定家は、妖艶な恋歌を好んだ故か、相模の歌を重視し、
    『新勅撰集』には相模の歌を十八首とっている。(和泉式部十四首、紫式部五首、
    伊勢大輔二首、赤染衛門一首、清少納言は一首も入っていない)。・・・

ここで石田吉貞が「十五首」の殷富門院大輔の名前を挙げていないのは、本書が56番の和泉式部から
80番の待賢門院堀河までを「後拾遺・金葉・詞花時代」としてカテゴライズし、相模(65番)を同じ
「後拾遺・金葉・詞花時代」の女流歌人と比べたためであって、殷富門院大輔は90番(また14首入集
の式子内親王は89番)なので「新古今時代」に分類されるからではないかと愚考(^_^;) ちなみに、
58番の大弐三位は3首、67番の周防内侍は3首、72番の祐子内親王家紀伊は1首、80番の待賢門院堀河
は5首と入ってるのに、62番の清少納言と60番の小式部内侍は「一首も入っていない」とは( ̄◇ ̄;)

岩波文庫の『新勅撰和歌集』、巻末の「作者別索引」で小生は数えたが、同じく巻末に置かれている
「解題」の「七 作者」には「主要歌人を収載歌数順に配列すれば、大体次の如くである(九首以下
は省略する)。」として男女混合のが載っていて、「一八首」に相模が、「一五首」に殷富門院大輔
が権中納言定家と内大臣(実氏)と並んで出ているけど、「一四首」は「紀貫之、西行法師、式子内
親王」となっていて、和泉式部を挙げるのを忘れてんじゃねーよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンドモガァ!!
タグ:和歌 歴史
コメント(2) 

コメント 2

tai-yama

清少納言は紫式部以上に嫌われ者だったと・・・・
定家ではなく、定子には気に入れられていたのに。
相模が最多なのも、ニャンニャンな理由だったら大江公資と
修羅場になったり(怖)。
by tai-yama (2024-03-02 19:14) 

middrinn

清少納言はそもそも寡作で定家「好」みの「妖艶な恋歌」が無かったのでは(^_^;)
相模は大江公資との結婚は残念ながら長続きせず、結局、別れてしまいましたけど、
定家が生まれた頃に相模は歌壇での活動が見られなくなり亡くなった可能性(^_^;)
by middrinn (2024-03-03 05:56) 

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