「好色」にしてしまうだけでなく、熟女好きになってしまうではないかΣ( ̄ロ ̄lll)ニャンと!?
長い距離を歩けばモチ疲れるわけだが例年より疲れを感じるのは年を取ったからであろうか(@_@;)

【読んだ本】

渡邉義浩『三国志 演義から正史、そして史実へ』(中公新書,2011)所蔵本

    /『[三国志]演義』は、曹操の二つの大戦を対照的に扱う。曹操が勝った
    官渡の戦いの記述では、関羽の活躍に虚構を含むが、曹操の行動は史実に近い。
    虚構を創作してまで、曹操の見事さを示す必要はないからである。これに対して、
    赤壁の戦いでは、曹操の敗因として「二喬」への執着を印象づける虚構を用いる。
    とりわけ、毛宗崗本[『三国志演義』]は、女性の美を「色」とする儒教の理念
    を踏まえ、奸雄曹操が、女性の美に敗れる場面を描く。曹操の好色が周瑜に戦い
    を決意させたとし、「好色」ゆえの敗退と理由づけるのである。/・・・

    ・・・/ちなみに、毛宗崗本[『三国志演義』]は、大喬・小喬の父を喬玄
    (橋玄)とし、彼女たちの獲得を赤壁の戦いの目的の一つとする。しかし、
    橋玄と曹操は四十歳以上離れており、二人が橋玄の娘であれば、五十歳を
    超えていたはずである。/・・・

西晋の陳寿による正史『三国志』では二喬はたしか(←拾い読みしただけゆえ)呉の周瑜伝において
大喬は孫策、小喬は周瑜がそれぞれ妻としたとだけ記し、曹操が二喬を狙ってた話など無いはずで、
羅貫中の『三国志演義』は元、毛宗崗本『三国志演義』は清の時代にそれぞれ成立したもの(@_@;)

不思議なことに「赤壁」という詩で「東風 周郎の与に便ぜずんば 銅雀 春深くして 二喬を銷さん
(しかし、もしあの時、東風が周瑜のために都合よく吹いてくれなかったとすれば、春深き銅雀台の
なかに、喬氏の二人の姉妹は、長く鎖じこめられてしまったことだろう)」(訓読&訳は松浦友久&
植木久行[編訳]『杜牧詩選』[岩波文庫,2004]66&68頁)と詠んだ杜牧は元清の前の唐(@_@;)

松浦友久&植木久行・前掲書69~70頁の「鎖二喬」についての語釈は次のように解説する( ̄◇ ̄;)

    鎖二喬──鎖は幽閉する。・・・ちなみに「二喬を鎖[とざ]す」発想は、杜牧の時代
    すでに伝承した逸話[エピソード]──晩年の曹操は、鄴都に壮麗な銅雀台を建て、
    文人や美姫[びき]を集めて栄華を誇っていた。彼の呉国併呑の野望は、天下統一の野望
    であると同時に、呉の美人姉妹「二喬」を捕えて銅雀台に侍[はべ]らせたいという好色
    の野望でもあった(『三国志演義』系説話の原型)──が、踏まえられている。

曹操が没後に「美姫」たちを銅雀台に「幽閉」したというネタの典拠である曹操の「遺令」は捏造の
可能性が高いわけだけど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-12-29 )、
「杜牧の時代」、すなわち、晩唐には「すでに」その手の「説話」が存在していたんだな( ̄◇ ̄;)

「モチ」は正月の縁語の「餅」を連想させ、「年を取った」は新年を迎えたという意でもある(^_^;)