正月のウルトラセールで買ったのに以前と違って今月末までの1割引券を貰えなかったな(@_@;)
小生は殻刑民でアプリ会員じゃないからか(@_@;) あるいはブックオフも苦しいのかな(@_@;)

【読んだ本】

倉本一宏『藤原道長の日常生活』(講談社現代新書,2013)

本書の「第二章 道長の宮廷生活」の「2 儀式について」の中の「作文会への意欲」という見出し
が付された節の冒頭を引く(本書78~79頁)(@_@;)

    /道長は漢詩がいたって好きなようである。自邸や宇治別業で作文会(漢詩を作る会)
    を頻繁に開いているのみならず、内裏でおこなわれた作文会も主導しているかのよう
    である。/なお、一条朝二十五年間に内裏において開かれた作文会は四十六回、道長
    主宰で開かれた作文会は三十九回を数える。道長主宰の作文会は、年代別では、一条朝
    の長徳年間に三回、長保年間に五回、寛弘年間に三十一回である。/ところが三条朝に
    なると、内裏作文会も開かれることはなくなり、道長邸で開かれた作文会も、寛弘八年
    (一〇一一)後半から長和四年(一〇一五)までで、わずか四回となる。三条天皇との
    関係は、もはや作文会など開いている場合ではなくなったのであろう。/後一条朝と
    なると、長和五年に一回、寛仁元年(一〇一七)はなし、寛仁二年に二回、寛仁三年に
    一回となる。そして出家後は、さすがに開かれなくなるようである。一条朝が文芸隆盛
    の聖代と称されるゆえんである。/・・・

倉本一宏は「道長は漢詩がいたって好き」だったから一条朝で作文会を「頻繁に開い」たとするが、
「三条天皇との関係」、つまり、三条天皇と不仲だったから作文会も開かれなくなったというなら、
自分の孫である後一条天皇の御代には作文会を「頻繁に開」かないとおかしいだろ(^_^;) 「漢詩が
いたって好き」なのに三条朝では作文会を我慢してたのなら後一条朝になって好きなだけ開けたはず
なのに全く増えてない(^_^;) 「道長は漢詩がいたって好き」という説は一条朝→三条朝→後一条朝
での道長主宰作文会の数の増減を説明できてないよね(^_^;) 道長が作文会を「頻繁に開い」たのは
一条天皇に気に入られるために一条朝の流行や一条天皇の御趣味に付き合ってただけの可能性が高い
と愚考(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-19 )(^_^;) 後一条天皇は
自分の孫だから気に入られる必要性もないので作文会を開かなくなった、と考えるのが合理的(^_^;)

・同じ趣味だと思っていたのに実は賄賂のためだったなんて(ノ;ω;)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ナカナイデー!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-08