「もしかして、それは、ワシの子か?」とか言ったりしなかったのかな〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』(講談社学術文庫,2009)所蔵本

藤原道長の日記『御堂関白記』の寛弘元年(1004年)11月8日条を本書の訳で〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)

     八日、戊午。 捨子

    ・・・亥剋の頃、土御門第の細殿の北面[きたおもて]に女がやって来た。
    小さな女子を連れていた。生後百日ほどである。「この女子を預けます」と
    云った。その子を見ると下人ではない。そこで人に預けて養わせた。

「下人に非ず」とは皇胤だったりして(@_@;) 漁食家の教通の不始末・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;まだ8歳!

・教通を「大変な」漁色家として『栄花物語』に描くことで赤染衛門は娘の恨みを晴・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

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