昔、携帯の番号を伝えると「ソフバン(当時)ですね」とレスされ科警研(当時)では番号から会社が
判っちゃうのかよと驚いたらネットで検索すれば誰でも判ることですよと教えてもらったことが(^_^;)
さて、この週末、SMSしても何故かレスがなくて心配して電話してみたけど通じないのでネット検索で
ソフバンに割り当てられている番号と判明も先ほど連絡が取れて訊いてみると本人曰くKDDIと(@_@;)

【読んだ本】

倉本一宏編『現代語訳 小右記 14 千古の婚儀頓挫』(吉川弘文館,2022)

藤原実資の日記『小右記』の万寿4年(1027年)5月30日条が謎で、本書239~240頁から引く(@_@;)

     三十日、己巳。 顕光・嬉子の霊、姸子[きよこ]に示現/法華経講釈

    夜に入って、宰相中将[藤原資平]が来て云ったことには、「[皇太后]宮[藤原姸子]
    の御病悩は、減じることはありません。故堀河左府(藤原顕光)・尚侍[ないしのかみ]
    (藤原嬉子[よしこ])の霊が出て来ました」と。/・・・

藤原顕光は、娘の延子を後一条天皇の東宮敦明親王の女御とし前途洋々と思いきや藤原道長の工作か
敦明親王が皇太子の地位から自ら降りて院号(小一条院)や道長の娘の寛子を得たものだから、延子
ともども失意のまま亡くなって怨霊となり、寛子を始め道長の娘たちを次々襲った由ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
渡辺実『大鏡の人びと 行動する一族』(中公新書,1987)は、次のように叙述してる((;゚Д゚)ヒィィィ!

    ・・・/その道長の栄光の一家が初めて迎える不幸が、この寛子の死であった。
    そして寛子の死から一ヵ月しか経たない八月五日、今度は東宮[敦良親王で後の
    後朱雀天皇]妃の嬉子が、男御子([親仁親王で]後の後冷泉天皇)を産んだ
    二日目に、病気衰弱が進んで亡くなる、という不幸が続く。打ちつづく打撃で
    あったが、この時も顕光・延子の霊が威をふるった。顕光と延子の怨みは、
    寛子を亡き者としただけでおさまるものではなかったことがわかる。さらに
    二年後の万寿四年(一〇二七)九月、第三番目の不幸として[三条天皇の中宮
    だった]皇太后姸子が崩ぜられた時にも、顕光・延子の霊は現れた。・・・

この時、「・・・故堀河左府・尚侍の霊等、出来す」と、延子の霊ではなく嬉子の霊なのが謎(@_@;)

・『大鏡』作者も時々コメントすることがあるのだが、何を言いたいのか解らぬものもあるね(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-12-14

・ここはやはりフロイト先生の出番かと〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ 話がエロくな・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-06

・パワハラに抵抗して拘引されたのを最後に名前が見えなくなったということは・・・((;゚Д゚)ヒィィィ!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-06-24