自説を裏書きする記述ばかり見付かるのは、都合の良いものだけが目に入り易いからかも(@_@;)

【読んだ本】

倉本一宏編『現代語訳 小右記 14 千古の婚儀頓挫』(吉川弘文館,2022)

藤原実資の日記『小右記』の万寿4年(1027年)3月2日条には、「申の初剋、大地震があった。舎屋の
顛倒には及ばなかったが、築垣が頽壊した。あの先年の大地震の後、未だこのようなことはなかった。
もっとも怪異である。しばらくして、また震動した。・・・」(本書182~183頁)とあるけど、続く
万寿4年(1027年)3月4日条の最後の件がチト興味深かったので本書183頁から引く_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

     四日、乙巳。 石清水臨時祭試楽/病悩

    ・・・/天が陰り、時々、小雨があった。夜に入って、はなはだ密となった。通夜、
    止まなかった。地震の後、三箇日の雨は、もっとも善とした。災禍は消えるのであろうか。


大地震を「尤も恠[=怪異]なり。」とした上で「・・・雨、尤も善と為す。災禍、銷すべきか。」
としているのだから、 この「雨」というのはまさに守屋美都雄(訳注)布目潮渢&中村裕一(補訂)
『東洋文庫324 荊楚歳時記』(平凡社,1978)で〈・・・祓禊の行事にちなむあらゆる伝承に共通した
要素は、それがすべて「水」に関係しているという点である。〉云々と訳注で解説されているもので
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-29 )、雨で「怪異」も浄められたと
考えるのが自然(^^) 多田一臣(校注)『日本霊異記 中』(ちくま学芸文庫,1997)では「雨に濡れる
ことのタブー」として「・・・雨に濡れることは一種の禁忌として意識されていた。それというのも、
雨にはつよい呪力があると信じられていたからである。」云々という愚説・妄説が展開されてたけど
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-06-16 )、雨の「つよい呪力」と大地震
の「怪異」というマイナス同士が打ち消し合うことで「災禍は消える」のだとか強弁しそう(@_@;)
でも、「雨にはつよい呪力があると信じられていた」なら、「雨、尤も善と為す」と言うかね(^_^;)

・「鹿、内裏に入る」のは「怪異」とされてないけど、「鳩が侍従所に入る怪異」とある(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-07-02