大河ドラマの便乗本は玉石混交だろうから評価の一覧表を誰か作成してくれないかな( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

【読んだ本】

倉本一宏編『現代語訳 小右記 14 千古の婚儀頓挫』(吉川弘文館,2022)

藤原実資の日記『小右記』の万寿3年(1026年)9月13日条の一部を本書の126頁から引くよ( ̄◇ ̄;)

     十三日、丙辰。 亡室婉子女王母に対面/和歌を添える

    巳剋の頃、醍醐寺に参った。午剋、到着した。故女御(婉子[つやこ]女王)の母堂
    (為平親王室、源高明女)に対面し、終日、清談した。随身した御装束〈薄物の表衣
    [二倍。]・同じ袈裟・鈍色[にびいろ]の綾の褂一重・同じ裳・紅染の袷[三倍。]。
    和歌一首を紙に書いて、衣の裏に付けた。思へとも消にし露の玉緒[たまお]たに
    衣の裏に留めさりけむ[思っても消えてしまった露の玉緒でさえ、衣の裏に留めな
    かったろう。]。〉を、大檜破子に納め、その上の笥に菓子を入れた。・・・

藤原道長の詠んだ歌に返歌をしなかったのは藤原実資は和歌に「自信がなかった」からと土田直鎮が
記していたが、ソレは秀歌に対して劣る返歌はしないという「しきたり」の実例として有名な歌学書
が採り上げていた出来事だし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-01 )、
宮崎莊平(全訳注)『紫式部日記(上)』(講談社学術文庫,2002)も何ら根拠も示さずに「[藤原]
実資は詠歌などに不得手」と断じてて、その当否は何とも言えぬが、その日記『小右記』の現代語訳
を読んでいると、和歌が詠まれた場にいたり、自ら和歌を詠んだり、更には人々を誘って和歌の宴を
自ら主催してたりするので、もし本当に実資は詠歌が「不得手」だとするなら、下手の横好きかもと
前に指摘したことがある(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-29 )(^_^;)
とはいえ、自ら詠んだ歌を『小右記』に記してるのはチト珍しく、もしかして自信作なのかな(^_^;)

・『源氏物語』研究者は紫式部が先行歌の下句を丸々パクッてる事実を認めたくないのかもね(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-04

・土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』は『紫式部日記』を誤読してるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-04

・パワハラに抵抗して拘引されたのを最後に名前が見えなくなったということは・・・((;゚Д゚)ヒィィィ!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-06-24