知識とは既知のものにすぎず、未知のものを既知に変える知性には及ばぬ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
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【読んだ本】

久保田淳『久保田淳著作選集 第一巻 西行』(岩波書店,2004)

本書の〈Ⅱ 『山家集』巻末「百首」読解考〉の中の〈『山家集』巻末「百首」〉という論稿(初出は
1983年)の冒頭(本書199~200頁)に、「一首の和歌」で「作者自身が何を表現しようと意図したか
という疑問の解明」が「まず」「国文学の研究者に要求されている課題」、という色々インスパイア
される指摘が(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-06-12 )(⌒~⌒) 「西行の
和歌の解釈に際しては、(実は西行に限ったことではないのだが)まずこちらで既に抱いている西行
その人に対する思い入れ、思い込みを極力排除して、歌の言葉そのものの意味を一つ一つ辿って全体
に及ぶという、当然の手続きを経」るべきなのに(本書200頁)、西行の家集『山家集』巻下巻末附載
の「百首」(作歌年次未詳)に関する従来の解釈は「・・・諸家がこの百首をあらかじめそれぞれの
思い描く西行伝のある時点に位置づけ、その時点までの西行の人生と思想(但し、それらはあくまで
も諸家の想像の領域に属する)を作品解釈の場に持ち込」んでいると総括した上で、「私の方法では
努めてそれを避け、つまり人生や思想とは一応切り離して、作歌年次に関しては結論を留保したまま、
ひとまず和歌表現の点から解釈・・・」する由(本書201頁)(@_@;) 久保田淳&吉野朋美(校注)
『西行全歌集』(岩波文庫,2013)巻末の久保田淳「解説」での「・・・やはり享受者それぞれの思い
描く西行像が先入主として存在するために、その和歌表現の多様性や伝統性、同時代歌人との共通性
などには余り注意が払われてこなかったのではないかという気もする。」も、明らかに同旨(@_@;)
この西行の歌への久保田淳流のアプローチに対して、石田吉貞による批判があったことが、本書220頁
の注(1)で紹介されているので引いておく_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

    /一九八三年六月十八日、立正大学における仏教文学会のシンポジウム「仏教と和歌
    ─西行をめぐって─」の席で、報告者の一人として私が以上のような趣旨の発言をした
    のに対して、石田吉貞氏は質疑の際に、本居宣長が『新古今集美濃の家つと』で同集の
    歌を語法的に理詰めで細かく解釈しながらそのよさを殺してしまったのと同様、古歌を
    多く援用して分析しながら西行の心から遠ざかっているという趣旨の批判を、私の方法
    について与えられた。しかしながら、私は古歌の用例から帰納して解釈する方法(それ
    は『新古今集美濃の家つと』における宣長よりもむしろ契沖の一連の著述に一貫する
    ものであるが)自体が誤っているとは考えない。宣長の犯した誤りは近世の合理主義的
    思考で割り切ろうとしたことであろう。それと自らの内なる西行像に当てはめて西行の
    作品を裁断しようとする態度は、根本的に異なるところがないと考える。/

勉強になる(⌒~⌒) 久保田淳の「方法」は、西行の和歌に限らず、全ての歌人の和歌の解釈において
用いられているものかと(@_@;) ソレによって「和歌表現の・・・伝統性、同時代歌人との共通性」
は明らかになるとしても、後鳥羽院から「生得の歌人とおぼゆ。おぼろげの人、まねびなどすべき歌
にあらず。不可説の上手なり。」(渡部泰明&小林一彦&山本一[校注]『歌論歌学集成 第七巻』
[三弥井書店,2006]所収の山本一[校注]「後鳥羽院御口伝」)と評されたほどの西行の和歌が全て
読み解けるのかな(@_@;) 時代の子であることはモチ確かだけど、和歌表現において従来・同時代の
パラダイムには収まりきらない異質性・逸脱性・革新性も西行にはあるのでは(@_@;) 「無雑作に詠
み捨てられたような西行の歌風は、新古今時代の歌人たちの、磨きぬかれた技巧の歌風とは随分異質
である。」として、百目鬼恭三郎『新古今和歌集一夕話』(新潮社,1982)は次のように指摘(@_@;)

    ・・・西行の歌は、姿ばかりか、用語もまた大胆不敵といえる。たとえば、やはり
    『新古今集』に採られた「古畑の岨の立木にゐる鳩の友よぶ声のすごき夕ぐれ」
    (荒れ畑の崖に立っている木で鳩が友を呼んでいる。その声が不気味に聞える夕暮だ)
    の歌に使われている「すごき」という形容語は、いかにもこの歌そのものにすご味を
    付与しているのであるが、試みに滝沢貞夫編『新古今集総索引』(明治書院)をみると、
    この語が『新古今集』に使われている例は、たった二つ。一つは和泉式部の「秋風は
    すごく吹けども葛の葉のうらみ顔には見えじとぞ思ふ」(夫のほうは秋風がものすごく
    吹くように私を嫌っても、私のほうは葛の葉が秋風に裏をみせるようには恨み顔はみせ
    まいと思います)という歌であり、もう一つは西行のこの歌である。/和泉式部と西行は、
    在原業平と並んで、いわば詠み捨て風の天才であり、彼らはふつうならおよそ歌語とは
    なり得ないような語句を平然と駆使し、ちゃんと成功しているのだから、驚かされる。
    ・・・

百目鬼恭三郎は後鳥羽院の西行評(上述)は「西行の天才的な詠み捨てぶりを的確にいいあてた批評
でさすがだ。」と(@_@;) 西行の家集『山家集』にも「すごき」を用いた歌が結構あるしね(@_@;)
とまれ、「まず」「ひとまず」等とあり西行の和歌解釈のあくまで最初のステップの意かも(@_@;)

・丸谷才一は「ちよつと気取つて書け」と言う前に「少しは調べて書け」ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-27