咳は出ないし熱も無いけど身体がダルく、気温は高いのに寒く感じるのは、もしかして風邪かな(^_^;)

【読んだ本】

前野直彬(注解)『唐詩選(上)』(岩波文庫,2000)所蔵本

芭蕉「石山の石より白し秋の風」で久富哲雄(全訳注)『おくのほそ道』(講談社学術文庫,1980)は
五行説から「秋風」は「白色」とし、植木久行『唐詩歳時記』(講談社学術文庫,1995)も「白は秋の
色でもあった。」と解説(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-23 )(^^)

白居易(白楽天)「新秋夕」(新秋[しんしう]の夕べ)に出てくる「西風」という言葉の語釈で、
岡村繁『新釈漢文大系117 白氏文集 二下』(明治書院,2007)528頁が「西方から吹いてくる風。秋風
を指す。五行説では、秋は西に当たる。・・・」と解説してるのを発見_φ( ̄^ ̄ )メモメモ そのお蔭で、
前掲『唐詩歳時記』において〈家でひたすら夫の帰りを待ち望む「思婦」たちの悲しみは、砧の音に
こめられて、澄みきった夜空のもと、冷たい西風[あきかぜ]にのって城[まち]のすみずみにまで
行きわたる。〉と、「西風」に「あきかぜ」というルビが付けられている意味が解ったv( ̄∇ ̄)ニヤッ
そこで引かれていた李白「子夜呉歌[しやごか]」を本書から訓読文と現代語訳のみ引く(⌒~⌒)

    長安 一片の月

    万戸 衣を擣つの声

    秋風 吹き尽きず

    総べて是れ玉関の情

    何れの日か胡虜を平らげて

    良人は遠征を罷めん


     長安の空に一つ、澄みわたったお月さま。その光に照らされた町では、あそこでも
     ここでも、砧を打つ音。──秋ももう深い。秋風はあとからあとからと、尽きる
     ときもなく吹きわたって来る。この秋風のかきたてるものは、その吹き来るかなた、
     遠い西の空にある玉関への思い(そして同じ秋風が、玉関からの思いをも運んで
     来てくれるのだ)。いつになったら私の夫は夷狄を討ち平らげて、遠征から帰って
     来ることだろう。

有名な作品らしく、手元の他書にも載っていて語釈・現代語訳も出てるけど、( )内は本書だけで、
まさに秋風=西風(⌒~⌒) 単なる趣味で興味・関心の赴くままの乱読なので、得られた断片的な知識
を脳内で体系化しないと(^_^;) とはいえ、やはり素人の悲しさで、これまた有名らしい張籍「秋思」
に関する渡部英喜『漢詩歳時記』(新潮選書,1992)の解説を誤読しそうになった(^_^;)

    ・・・/

     洛陽城裏秋風を見る

     家書を作らんと欲して意万重

    東都洛陽のまちなかで、秋風が吹き渡っているのを見ました。すると、俄に
    故里のことが思い出され、家へ手紙を書こうと思いましたが、つもる思いが
    あれこれ湧き起こり、書きたいことばかりです。/・・・

この「秋風」も「西方から吹いてくる風」と解して、深読みしようとしたけど、よく見れば、張籍は
「和州烏江(安徽省)の人とも、蘇州呉県(江蘇省)の人ともいわれています。」とあったわ(^_^;)