何でもかんでも、世界観、世界観、世界観、世界観・・・(ノ ̄皿 ̄)ノオオゲサナンダヨ!┫:・’.::

【読んだ本】

奥富敬之『吾妻鏡の謎』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー,2009)

「商業は未発達で物々交換あるいは准布[じゅんぷ]による交換経済の段階だった」(本書166頁)
東国にも宋銭が普及し貨幣経済の荒波は鎌倉にも達したという叙述の後、「陸奥国にも及ぶ」という
見出しで本書168頁に次の記述が( ̄◇ ̄;)

    /しかし陸奥国では[鎌倉と違って]まだ銭納は禁止だった。暦仁二年(一二三九)
    正月十一日、幕府は次のように命じた。

      陸奥国群郷の所当のこと、沙汰あり。これ准布の例、百姓ら私に本進の備え
      を忘れて銭貨を好み、所済の乃貢、年を追って不法との由、その聞えあり。
      白河関以東は、下向の輩の所持においては、禁制に及ばず。・・・

「以東」が誤植でないなら、『魏志倭人伝』の記事の方角について「魏志はここで九十度だけ右旋回
に方角を誤っているから、倭人伝に南とあるのは東であり、・・・」(井上光貞『日本国家の起源』
[岩波新書,1960])とあるように、この『吾妻鏡』のも〈以北〉が「以東」になったのかな(@_@;)
応地利明『絵地図の世界像』(岩波新書,1996)に、延長5(927年)撰進の『延喜式』巻16の追儺祭の
祭文にも「四方之堺」=四至が明記されてて「東方陸奥」とあること、また〈外浜は、津軽半島基部
の日本海沿岸地方をさす古称で、中世初期のころには日本国家の東の境界と考えられてきた。『源平
盛衰記』には、「東は外浜、西は鬼界迄、天下起伏し奉らん」という表現がある。〉とある(@_@;)