何故だろう?と思う人こそ知性の持ち主オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ見落としてたくせに!

【読んだ本】

黒板伸夫&森田悌(編)『訳注日本史料 日本後紀』(集英社,2003)

雉の鳴き声や飛び立つ羽音の「ほろろ」は、古語辞典に「ほろほろ」と同じとあり、『詞花和歌集』
入集歌の珍解釈を提示(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-01-29 )したが、
何故「藤原兼通は桓武天皇の生まれ変わりではないかと思い付いて、雉を調べていた」かと言うと、
桓武天皇が熱中した「遊猟」は鷹狩りとされ、パリピ桓武は遊猟後に皇親や貴族の私第・別業で宴を
催して酒食を楽しむことが結構あり、鷹狩りの目的は雉肉という仮説を立てて検証してた訳(^_^;)

〈森田悌(全現代語訳)『日本後紀(上)』(講談社学術文庫,2006)157頁に載ってる延暦16年冬10月
庚申(8日)の条「啄木鳥が前殿へ入った。明日、天皇は交野に行幸する予定であったが、この不審事
のため、とり止めた。」、「啄木鳥が前殿へ入った」ことが、どうして「不審」なのか謎なんだけど
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-01-07 )、翌日解け・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
冗談はさておき、鳥に限っても他に次の記述があって、吉事か凶事か、記録した意味は不明(@_@;)〉
として、延暦16年(797年)夏5月戊戌(13日)条の「雉が前殿に集まった。」(同書148頁)も挙げた
けど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-01-18 )、見落としがm(__)m 同頁の
僅か6日後の延暦16年(797年)夏5月甲辰(19日)条(同書148頁)に次の記述がΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン!!

    宮中と東宮で、『金剛般若経』を転読した。雉が前殿に集まる怪異があったからである。

大好物の雉が集まって桓武ウハウハかと想像してたら、「怪異」とされてたとはエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

訳注と冠した本書を披くと115頁の同条の訓読文の「怪異」に注がキタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━!!!!
「雉」が「集まった」ことが「怪異」とされた理由が説明されているかと期待に胸をふくらませて、
114頁の頭注を見たよウキウキ♪o(^-^ o )(o ^-^)oワクワク♪

         この月戊戌条の雉が禁中の正殿に集まったことを指す。

馬鹿にすんな!ヾ(`◇´)ノヾ(-_-;)オイオイ同頁の条を見落としたよな? にしても、どうして「怪異」
とされるのだろう?とか思わないのかねぇ(@_@;) 例えば、民俗学的な解説とかを期待したんだが、
タコツボ専門バカの平凡な研究者たちは説明する気も無いようで、けんもほろろ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;