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220204読んだ本

もし野宿するなら雨が降り出した場合に備えて木陰を選ぶのはフツーの行為〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

石川忠久『新釈漢文大系110 詩経(上)』(明治書院,1997)

本書の49~51頁(牧角悦子が執筆)から「甘棠」の訓読文、通釈、語釈の一部、余説を引く(@_@;)

    蔽芾[へいはい]たる甘棠は 翦[き]る勿かれ 伐[き]る勿かれ
    召伯[せうはく]の茇[やど]りし所

    蔽芾たる甘棠は 翦る勿かれ 敗[そこな]ふ勿かれ
    召伯の憩[いこ]ひし所

    蔽芾たる甘棠は 翦る勿かれ 拜[ぬ]く勿かれ 
    召伯の説[やど]りし所

     こんもり茂ったカタナシの木。翦ってはならぬ。伐ってはならぬ。
     召伯さまが茇られたところ。

     こんもり茂ったカタナシの木。翦ってはならぬ。傷つけてはならぬ。
     召伯さまが憩[やす]まれたところ。

     こんもり茂ったカタナシの木。翦ってはならぬ。抜いてはならぬ。
     召伯さまが説られたところ。

    〇召白所茇 「召伯」は召伯虎。西周宣王朝に南方を宣撫した召穆公虎。(「余説」
    参照)。「茇」は毛伝に「草舎なり」とあり、草野に野宿すること。白川静は
    「草宿りすることは、その地霊に接してこれを慰安する意があり、そのような
    呪的行為であると思われる」と。

    《詩序》甘棠は、召伯を美するなり。召伯の教、南国に明らかなり。
    《集伝》召伯、南国を循行して以て文王の政を布く。或いは甘棠の下に舎す。
        其の後人其の徳を思ふ。故に其の樹を愛して傷つけるに忍びざるなり。
    
    /『史記』燕召公世家に、「召公の西方を治むるや、甚だ兆民の和を得たり。
    召公の郷邑に巡行せしとき棠樹ありて、其の下に獄を決し事を政す。……
    召公の卒してのち、民人は召公の政を思ひ、棠樹を懐いて敢へて伐らず。之を
    歌詠して甘棠の詩をつくる」とあり、三家詩も同様に、「召伯」を召公?だと
    みなしているが、これらは皆誤りである。『詩経』中に「召伯」をいうものは、
    小雅「黍苗」篇「悠悠たる南行、召伯之を労す」と大雅「崧高」篇「王、召伯に
    命(みことのり)し、申伯の宅を定めしむ」があるが、これらの「召伯」は
    みな召穆公虎を指す。この詩の「召伯」もまた召虎のことである。召虎は西周の
    宣王の時、江漢の地に淮夷を伐ち、南方諸国を平定した人物である。/また、
    詩中「蔽芾たる甘棠(こんもり茂ったカタナシの木)」は呪物である。聖なる樹木
    であるが故に翦ったり敗(そこな)ったりすることは許されない。その樹木が
    呪物となった所以は、昔そこで召伯が草舎りしたことによる。「茇」は草に関連する
    呪的行為だと思われ、草宿り、旅宿りという地霊を慰撫する呪儀を表すことばと
    考えられる(白川)。

「これらは皆誤りである」とは小気味好い書きっぷりだけど、執筆した牧角悦子は白川静の信者なの
かな(^_^;) 試しに、谷沢永一『紙つぶて 自作自注最終版』(文藝春秋,2005)を披いてみたところ、
「・・・学閥に属さないで苦労に耐えた、とセンチメンタルな同情が集まって、今は恰も白川静の時代
であるが、彼の説くところに実証性があるか。『字通』を見ていると、どの漢字の説明にも『説文』
が論拠に使われている。あまりにも安直なのでつい笑い出した。・・・『説文』を論拠とする学者は
すべて偽物である。/また甲骨文も金文も自らは何も語らない。それにもっともらしく理屈をつけて
学者が判読する。要するに独断である。証拠がない。文字学は想像による印象論である。原始的な
象形文字は印象批評で決めるだけである。白川静を信用するな。」と酷評されていたヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
話を戻すと、白川静の著作を読んだことないから、この解釈の当否に関しては何とも言えないけど、
何でも呪的行為にしてしまうイメージ通りの解釈(^_^;) 「余説」にも引かれている『史記』の「燕召
公世家」に出てくる「甘棠の詩」、この『詩経』の「甘棠」とは別に存在するということかな(^_^;)
裁判実話集である桂万栄(編)駒田信二(訳)『棠陰比事』(岩波文庫,1985)の「解説」は『史記』
の「燕召公世家」と『詩経』の「甘棠」を引用して、〈つまり「棠陰」とは、よい政治、立派な裁き
ということであり〉と記してて、中国(南宋)でも「棠陰」=甘棠の樹の下と言えば『史記』の召公
のことのようだし、日本の古典でも同様だから、この『詩経』の白川静的解釈は興味ないけど(^_^;)
タグ:古典 中国
コメント(8) 
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コメント 8

ナベちはる

いくら「雨が降らない」と言われても雨が降る可能性は0ではないので、もし野宿するとなったら雨風が当たらない場所を選びますよね。
by ナベちはる (2022-02-05 01:29) 

middrinn

そう考えるのがフツーですよね(^_^;)
まして予報とか無い古代ですし(^_^;)
by middrinn (2022-02-05 07:22) 

df233285

今どきは。地図で、野宿地に屋根の機能を持つ、
人工物のある山中を予め調査して、そもそも行き先
を入念に選びます。荷物が相当に大量になる
からです。そうしておいて、夜間の天体観察等は、
木も背丈が低い、見晴らしの良いところでし、寝ます。
それ以前に、ラジオ音声放送の内容程度で、天気図が
空で描けて天気変化が把握でき、天候が悪化しない
日を選べるように、普段から鍛錬することも重要。
by df233285 (2022-02-05 07:32) 

middrinn

用意万端怠りないですね( ̄◇ ̄;) 現代は安全第一ですものね(^^)
by middrinn (2022-02-05 08:02) 

tai-yama

落雷の時は大木の下だと落雷が!
谷沢さんに酷評された白川さんは「カタナシ」と(笑)。
by tai-yama (2022-02-05 19:37) 

middrinn

( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 特製酷評された白川さんは「カタナシ」と座布団1枚 ♪
by middrinn (2022-02-05 19:44) 

yokomi

カタナシの木とは聞き慣れないです。調べたらリンゴの別称とか。ヤマナシとも!?? 
文王はお勉強に出てきました(^_^)v
by yokomi (2022-02-07 11:38) 

middrinn

宮城谷昌光(白川静の信者なのに、この『詩経』の「甘棠」を『史記』の召公の話
として解しているのが謎)は「甘棠」を「ひめかいどう」としてましたよ(^_^;)
by middrinn (2022-02-07 11:54) 

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