読書の厄介なところは、味気ない現代語訳にがっかりさせられることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)
美術館&図書館が普段通りなのは今月は今日までと考えて疲労困憊&超寝不足だったが歩いて街まで
行ってきたけど帰りは流石に電車(+_+) 予約してた本を引き取ったけど、つまらん本ばかり(-ω-、)
さて、さて、さ~て!RSSに読者登録してあるSSブログの更新通知が19日午後から来なくなった問題、
アニマルボイス様から頂戴したコメをヒントに、改めて登録し、「blog.so-net.ne.jp/index.rdf」を
「blog.ss-blog.jp/index.rdf」に書き直すことで、順次解決しつつあるヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪

【読んだ本】

坂井孝一『源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか』(PHP新書,2021)

源実朝と御台所の坊門信子について本書240~241頁は「ほぼ同い年の実朝・信子は夫婦仲もよかった。」
として、「『吾妻鏡』には珍しい微笑ましい記事」を紹介している(〃'∇'〃)

    ・・・/さらに、建保五年(一二一七)三月十日条にみえる次のエピソードは
    実に微笑ましい。

      晩頭、将軍家桜花を覧[み]んがため、永福寺に御出。御台所御同車。
      先ず御礼仏。次いで花の林の下を逍遥し給ふ。その後、大夫判官行村の宅に
      入御し、和歌の御会あり。亥の四点に及び、月に乗じて還御。

    この日、実朝は夕方になって桜をみようと永福寺に出かけた。信子も同じ牛車に乗った。
    永福寺ではまず仏に拝礼し、それから美しい桜の下を散策した。その後、二階堂行村の家で
    和歌の会を催した。深夜十一時近くになり、月を愛でつつ御所に帰った、というのである。
    牛車に同乗して赴いた永福寺で、桜を楽しみながら散策する実朝・信子夫妻。深夜まで
    和歌の会に興じ、月明かりの中、再び牛車に同車して帰る二人。ここには政子も義時も広元も
    いない。夫婦の仲睦まじさを髣髴させる、『吾妻鏡』には珍しい微笑ましい記事である。/

小生が気になったのは「月に乗じて」(@_@;) 倉本一宏(全現代語訳)『藤原行成「権記」(中)』
(講談社学術文庫,2012)122頁の長保3年(1001年)8月12日条に「月に乗って帰ってきた」とあり、
その訓読文は、日文研「摂関期古記録データベース」では「月に乗りて、帰り畢んぬ」、黒板伸夫
(日本歴史学会編集)『藤原行成』(吉川弘文館人物叢書,1994新装版)130頁は「月に乗じて帰り畢
[おわ]んぬ」としており、コレは何か漢詩文に典拠がある表現かとチト気になっていたんだけど、
爛漫亭様の御教示があって、「月に乗る」をネット検索したところ、『精選版 日本国語大辞典』の
「月の興にのる。月のおもしろさに感興をもよおす。また、月の明かりを頼りとする。」という説明
がヒットした(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-16 )(⌒~⌒) そこで、
五味文彦&本郷和人(編)『現代語訳 吾妻鏡8 承久の乱』(吉川弘文館,2010)で建保5年(1217年)
3月10日条を早速確認してみたのだが(同書41頁)、この「現代語訳」、味気ないね(-ω-、)

    十日、丁亥[ひのとい]。晴れ。夕方、将軍家(源実朝)が桜をご覧になるために
    永福[ようふく]寺に出かけられた。御台所(実朝室)も同じ牛車に乗られた。
    まず仏を拝された後、美しい花の下を散策された。その後、大夫判官(二階堂)
    行村の宅に入られて和歌の御会があった。亥の四点になり、月明かりの下を帰られた。