読書の厄介なところは、狙う古本が最安値かどうかを見極めることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
出品者同士が1円単位で値下げを競い毎日数円ずつ最安値を更新中だったが止まってしまった( ̄◇ ̄;)
来週にはギフト券付与なのに元の高値に戻りそうな雰囲気プンプンヾ(`◇´)ノヾ( ̄o ̄;)さとう珠緒?

【読んだ本(バカチン)】

久保田淳(監修)『新日本古典文学大系 別巻 八代集総索引』(岩波書店,1995)所蔵本

重宝している本書、その「各句索引」を使っていて、フト気付いたのが、初句が「へ」で始まる歌は
3首しかないという、超どーでもいいこと(^_^;) メチャ疲れていたので、つい他も調べたら、ら行は
「り」しか立項されてなく、「りうぞくの」「りやうぜんの」の2首だけ∑( ̄ロ ̄|||)ニャンだ!?
ともに『拾遺和歌集』入集歌の初句ゆえ、小町谷照彦(校注)『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』
(岩波書店,1990)で「流俗[りうぞく]の」「霊山[りやうぜん]の」と判り、ナルホドと(^_^;)
源俊頼の歌論書『俊頼髄脳』(橋本不美男&有吉保&藤平春男[校注・訳]『新編日本古典文学全集
87 歌論集』[小学館,2002]所収)は後者を行基菩薩作として次のような解説(橋本不美男の訳)を
しているv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    ・・・/和歌は、大和言葉を仮名で表現するのが本来であるから、仮名では書けない詞、
    また語調の固い詞などは、だいたい詠み込んではいけないものではあるが、これも古歌
    には多数の実例がある。まず、行基菩薩の歌をみると、/・・・

ら行で始まるのは外来語っぽいし(片桐洋一『歌枕 歌ことば辞典 増訂版』[笠間書院,1999]も、
ら行は一つも立項していないし)、八代集に選ばれてもおかしくない秀歌となると少なそう(@_@;)

再び本書の「各句索引」に戻ると、「ゐ」と「ゑ」は、初句で始まるのは1首ずつしかない( ̄◇ ̄;)
「ゑ」は『後撰和歌集』の注釈書で確認したら「絵[ゑ]にかける」で納得も、「ゐ」の方は本書に

                  ゐよひのまも

となっていて、イミフ(@_@;) 小島憲之&新井栄蔵(校注)『新日本古典文学大系5 古今和歌集』
(岩波書店,1989)で当該歌を確認したら、

    夜[よ]ゐの間もはかなく見ゆる夏虫にまどひまされる恋もする哉

という紀友則の歌で、奥村恆哉(校注)『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社,1978)などは、

    よひのまも はかなく見ゆる 夏虫に まどひまされる 恋もするかな

と表記してるけど、どっちにしろ、前に指摘した本書の「作者名索引」が作者の性別を間違えている
こと(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-12-18 )よりも、更につまらぬミス
だし、メチャ疲れてるから、いつものフレーズは使う気になれませんな〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

[追記210313]

主旨をはっきりさせるために追記しておくが、丸谷才一『男もの女もの』(文春文庫,2001)には、
「蝶が王朝和歌に出て来ないのは当り前である。なぜなら、和歌では普通(釋教歌は別ですが、それ
以外では)字音の語を用ゐない。訓読みの語だけでゆく。・・・/・・・チヨウは字音である。字音
しかない以上、歌に詠まれないのは当然であつた、・・・」とある〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

・「王朝和歌で蝶が歌はれないのはどうしてだらうと思ひ悩む」丸谷才一は『枕草子』を未読か(゚ロ゚;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-02-17