読書の厄介なところは、何で読んだか思い出せぬ記憶も増えることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

橘健二&加藤静子(校注・訳)『新編日本古典文学全集34 大鏡』(小学館,1996)

新年会で音楽を奏でてたら全員落涙という泣き上戸の集まりみたいな場面が本書390~391頁に(^_^;)

    ・・・/しみじみと感じられましたことは、村上天皇がお亡くなりになって、翌年に、
    小野宮[関白藤原実頼]邸に人々が参集され、特に臨時客などのことはありませんでした
    けれども、「嘉辰令月[かしんれいげつ]」などと朗詠なさったついでに、一条の左大臣
    (源雅信)や六条殿(源重信)などが、拍子をとり、催馬楽の「席田[むしろだ]」を
    歌いだされたところ、「ああ、村上の先帝がご在世でいらっしゃったならばなあ」と
    言って、拍子の御笏もさし置きさし置きして、主人たる小野宮殿をはじめ申しあげ、
    新年の席というのに、不吉なことを忌み慎むこともなさらず、落涙なさって、袍の御袖を
    濡らされたのでした。・・・

土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』(中公文庫,1973初版→2004改版)も紹介している場面だけど、
冷泉天皇の狂気に悩まされているから、故・村上天皇のことが偲ばれて、一同「落涙」、と(-ω-、)

延喜・天暦の治と言われるように、醍醐天皇と並び、その治世が理想とされてきた村上天皇だけど、
その聖帝を同時代の誰かが批判してるのを最近どこかで読んだなぁ~と突然思い出した小生(@_@;)
誰が批判したのか、何の本で読んだのか、例によって例の如く肝心な点が全く思い出せない(´ヘ`;)
でも、ネット検索したら、「ああ、村上の先帝がご在世でいらっしゃったならばなあ」と嘆いていた
藤原実頼ご本人と判明ヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪ 例の藤原登子(師輔の娘)に懸想した村上天皇が
異母兄の重明親王の後妻だったのに逢瀬を中宮の安子(師輔の娘で登子の姉)に設けてもらい、重明
親王と安子が亡くなった後には入内させて寵愛したことを、藤原実頼は批判したみたいなんだけど、
その日記『清慎公記』か何かが藤原実資の日記『小右記』に引かれてたのを読んだのかなぁ(@_@;)